「梟小路 魁」が環境ビジネス書を上梓

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梟小路魁(オーエスラボ顧問)が、環境コミュニケーションズ社より「環境モニタリング・サービス・プロバイダー・ビジネスへの挑戦」を上梓しました。梟小路魁氏は、環境モニタリングビジネスは、これまでB to BビジネスでしたがB to Cの視点に立てば、そのサービスの景色が変わることを指摘。すなわち環境モニタリングサービスは、プロバイダーとしての性格を持つことの必要性を説いている。地方自治体の環境部局に溜まった膨大な環境情報(データ)を、分かりやすくインフォグラフィックスhttps://www.youtube.com/watch?v=QYSpTMPn3YQをふんだんに使うことで、多くの人びとに理解が得られる情報へと変化する。これからの環境モニタリングサービスは、ICT:http://kotobank.jp/word/ICTとSNS:http://e-words.jp/w/SNS.htmlの下で大きく変革する時代が到来したと述べている。

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「食品ロス、年間4万㌧減」(日経3月26日号)を読んで

ここで「食品ロス」とは、食べられるのに廃棄される食品のこといいます。農水省は2010年度の食品廃棄物が1,713万㌧で、このうち食品ロスが500万~800万㌧、率にすると29.2~46.7%になったと発表しています。「食品ロスが年間4万㌧減」とは、率にすると0.5~0.8%程度に過ぎません。真山仁著「黙示」の中で、日本を飽食の国と指摘し、日本が世界一食べ物を捨てている国であることを紹介しています。同書では何時の統計数字を使ったかは分かりませんが、年間の食品廃棄量として2,189万㌧が示さていました。先の数字と比較すると、オーダーとしては合っているように思われます。しかし、日経の記事「食品ロス4万㌧減」は、統計上では誤差範囲として扱われるのが妥当だと考えます。「黙示」と3月26日との数字の差は、476万㌧になります。

ところで、殆どの日本人は、「世界で飢えている人の数」が9億6,300万人 に達していることについて、容易に知ることができます。インターネットのGoogleサイトを開き、「世界の飢えている人口」と入力しクリックすれば、トップにウキペディア表示され、この数字が出てきます。世界の人口を70億人とすれば、飢えている人の割合は14%になります。7人に一人は飢えていることになります。
誰もが食事は楽しいものであり、特にレストランなどで、芸術と見間違うほどの盛り付けなどを見ると、感動し無意識に思わずスマホでパチリ、これをネットで公開する。極めて多くの方が、こうした行動を取られているのではないでしょうか。

さて、私たちが利用しているウエブページは、2005年では10億ページだったのが、2年後の2007年には30倍の300億ページに増えたと報告されています 。現在はそれから7年が経過していますから、単純に比例計算しますと、ウエブページは3兆1,500億ページに達していることになります。
日本は、安全、安心そして自由であることを考えると、本当に良い国だと思います。かといって、4万㌧程度の食品ロスを減らしたからと言って、あたかも食品を大切に扱っているかのような記事を掲載する新聞、如何なものでしょうか。この数字(0.5~0.8%)は統計的にはネグレクトの範囲ですよ。食品廃棄物総量(1,713万㌧)に占める「食品ロス」の比率30~50%を見てください。4万㌧という数字はこの中に隠れてしまうものです。私は、この記事はいただけないなと感じました。だってそうでしょう、店に溢れかえる食品の種類の多さとその量、あまりにも造り過ぎてはいないでしょうか。まだ食べられるものが30~50%も廃棄されてしまう。どこかおかしいと思われませんか。

先ほどのウエブの話に戻りますが、私は1度だけ、正月のおせち料理でしたか、スマホでパチリ、Facebookサイトに載せたことがあります。自分では極力食品をサイトに載せまいと心がけています。「載せる」「載せない」は自由ですから、ダメだと申し上げるつもりはありません。でも、日経の記事を読んで、この国は何処かおかしい。“サブナショナルパワー”を持つ組織に組される皆さんには、是非目覚めていただきたいものです。

春の雨

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2014年3月30日午前は雨模様だった。でも桜が暖かさにつられて花を開いている。66年目の春・・・そういえば私が育った下関。高杉晋作の幼名は「春風」と言った。私は今にして思えば、自分が通った幼稚園は了円寺といい、小学校は桜山小学校、どれも高杉晋作と深いゆかりがあるこを、この年なって初めて知った。遠足に行った桜山公園には、馬関を見下ろす高杉晋作の立像があった。自分が歴史の街に育ったという認識は、これっぽっちもなく過ごした。今になって、そんな歴史ある街で自分は育ったのか、改めて感慨深いものが湧いてくる。3年前に妻と兄の3人で訪れたときは、子供の頃よりもさびれた街並みを見て少し寂しく感じた。「春帆楼」は、初代総理大臣伊藤博文が愛した老舗のふく料理店で、彼が愛した数々の品物が展示されている。貧しかった子供の頃には、およそ手も足もでなかった高級料理店である。小高い坂の上にある眺めのよい場所に、春帆楼は立っている。玄関を背にして海側を臨むと、そこには古びたビルが視界を遮っている。これがなければ海が臨め、より良い雰囲気が眼下に広がる。如何にももったいない。歴史ある街をどうすれば、昔のように呼び戻せるのか、私の住んでいた西大坪町は総じて年寄りの街に変わっていた。過疎や限界集落に関心を示すようになり、昔育った町の再活性化とは、に関心を持つようになり、自分の故郷を改めて見て、寂しくなった。子供の頃に駆け巡った野山は、もうそこにはない。アスファルトとコンクリートに変わっていた。山も小川も田圃も開拓され無機質の街並みに変わってしまっていた。日本が豊かな国なら、下関のような歴史ある街並みの再建を願いたいものである。

GDP/Capitaが3,000ドルもなかった子供の頃は、貧しさからの脱出が第一の思いだった。過疎、限界集落、急速な人口減少、年寄りの街、こうした街も子供の頃は、歴史は良く分からなかったが、自然が豊富な街だった。自分が住んでいた大坪町からは少し離れた所に、長府という武家屋敷並ぶ街が残っている。その空間はさほど大きくはないが、瓦を抱いた白壁が続く通りは何とも言えない風情が残っている。しかし、通りに出ると、山陽道だったか忘れたが、産業道路よろしく大型トラックの行き来が激しい喧噪がそこにある。これには興ざめである。私が下関の都市計画を担当するとするならば、長府から火の山唐戸ならびに赤間神宮に向かう山陽道は、まるっきり作り直し、風情のある街並みと道に作り替えたい。そう言えば、火の山の下、関門戦争の時に使った海峡にせり出した場所がある。幕末に、高杉晋作の奇兵隊がイギリス、フランス、オランダ、アメリカ船の4国艦隊に向け、砲撃した大砲もどきがそこにあった。せっかく作るのなら、もっと当時を偲ばせるものを作ってもらいたいものだ。そう言えば、この戦いでは、特にフランス軍に占拠された長府の前田砲台は、写真で見る限り立派なものであったようだ。およそ連合艦隊の持つ大砲には太刀打ちできなかっただろうが、大砲が見事に並んでいる。おためごかしの施設を作るのではなく、限りなく当時を再現するものにしてもらいたいものだ。

下関には歴史は勿論、ドラマがある。高杉晋作が走り回っていた下関の姿の再現を、下関出身の有志で進める会を作りたい・・・そう私は思った。都会に集まっている多くの人は、山や川や田圃のある街や村の出身者が多い。規格統一された4,5階建てのアパートに入居することを楽しみにしていた高度経済成長期。今は伴侶を亡くし一人暮らしの人も多いという。どうだろうか、このような人々に子供頃に育った故郷に戻ってもらう。勿論、故郷の再構築が必要だが。日本は、なんだかんだ言っても自然に恵まれている国だ。森林の被覆率が70%を超すアジア一の森林国家である。なにせ、下関には歴史がある。その歴史と自然とのコラボレーションを図りながら、住みやすい街を作り直す。大砲一つとっても紛い物はだめだ。製鉄から砲身の製造、そして台座等々、これらの再現に参加しつつ、故郷に溶け込んでいく。その過程で昇天しても。それはそれで皆で送出せばよい。故郷があるということは、自分の昔を偲べる。

雨の中の桜・・・写真を撮りつつ、下関への郷愁が慕った。昔の街並みや野山を思い巡らせ、何か衝動に駆られた。経済発展だけでは、人の心を幸せにすることの難しいことは、行動成長期に生きた者として実感だ。里山資本主義+歴史・・・そこが終末の満足を与えてくれる場所・・・土のぬくもり、山への語りかけ、海への叫びと育み、歴史への思い。そう考えると、自分の親をも考える。これが郷愁というものか。終末は故郷で・・・日本の再生は、里山の再生と歴史のある街を、おためごかし的に造るのではなく、本物を作る。コンクリートより木を活用する。日本の森林、里山、小川、田圃、畑、海辺、まだまだ豊富であり、こうした自然の要素を活用した、町の再生を期待したい。
世界は、都市への人工集中が加速する言う。日本は、逆に、日本列島を隅々まで利用する分散型国家の方向へ向かう。

首長は高速道路やコンクリートジャングルを作るのではなく、人間の歴史と自然とが調和した街づくりに、集団就職列車に乗って都会に向かった50~60年前、今度は都会から田舎へ、集団ではなく思い思いに・・・そんな歴史と自然を思い起こさせる街に、Uターンしていただく。故郷の再構築プロジェクトを、高齢者と若者が一緒になって進める。日本を世界の理想郷に・・・そんな首長がいても良いのではないか・・・