「PM2.5によって腫瘍に掛かった娘を抱える母の思い」(私は共有したい)

私は、行動を起こすことを決断した!

0170_001は、朝のCCTVから流れるニュースに満足していません。私は基本的には政府に逆らう考えはありませんが、何か行動をしたいと思い、2015年3月1日に立ち上がることにしました。

私は今の生活の中で、この瞬間に「何かをしなければならない」という、衝動に駆られました。私はCCTV(中国中央電子台)の出身ですが、退職し長く沈黙を続けてきましたが、「アンダー・ザ・ドーム」(中国版TED)でプレゼンターを務めることにしました。この動画は、自分自身(柴静:Chai Jing)で制作したものです。103分の映像は、今日の深刻な大気中の微小粒子状物質(PM2.5)に関する発生のメカニズムと、その問題点についてまとめたものです。私、柴静は、これまで時間をかけPM2.5について、それに関する情報やその濃度測定を続けてまいりました。

私は、CCTV在職中に一人の娘を宿し、出産、これをきっかけにCCTVを退職しました。娘の誕生後、娘は病を発症し、その診断内容が良性の腫瘍であることが明らかになりました。私は、原因が何であるか、本能的にPM2.5との関係を疑ってしまいました。これは、仕事していた時の取材を通しての気づきでもありました。今は、この疑に対して、私は、中国は「PM2.5という、人間の目で見えない小さな敵との戦争状態に置かれている」と、思っています。

職業経験と母性本能がPM2.5の課題を指摘する!

私は、2013年10月に娘を出産し、CCTVを辞職しました。私、柴静は、CCTVの朝チャンネルでニュースキャスターとして、で多くの人々に親しまれてきました。現在の主な仕事は、娘の世話をすることです。私は、CCTV時代に、PM2.5の課題に関する番組を取り上げたことがあります。この「アンダー・ザ・ドーム」に出演する前、人民日報のインタビューに、こう答えています。CCTVを辞職した背景について、子供が病気に掛かっていることを明らかにしました。この後、私は、全ての仕事、そして仕事関係での招待を辞退し、子供の面倒を見ることに全力を尽くしています。

私は、中国版TEDに出演した理由は、PM2.5と娘の病気の現実を知っていただくためです。私は、出産に際して、ただ娘の健康以外、何も望みませんでした。しかし、娘は良性腫瘍と診断されたのです。この病気を治すには手術が必要ですが、極めてリスクの高い全身麻酔を掛ける必要があると言われました。実際に手術をしてもらいましたが、医師からは、術後に「手術は成功でしたよ」と言われましたが、彼女は昏睡状態にあり、目を覚ますことはありません。私は、この場で(中国版TED)で、PM2.5が、私の娘の主体性を奪い去ったと、痛感したことを、皆さんにお伝えしたいと考えました。

公害問題に強く注目!

以後、コミュニティや福祉問題に強く関心を寄せるようになったのは、こうした背景に基づくものです。深刻な公害問題、PM2.5はその一つに過ぎませんが。そして、私は、過去の職業経験上、PM2.5を始めとする様々な公害問題について、その原因を明らかにし、多くの皆様に知っていただく、そうした活動を推し進めたと決心いたしました。この動画を製作するに当たって、私はマスクも着用せず、いろいろな場所でインタビューをしてまいりました。多くのお母さん方を対象に、自分達が呼吸している空気について、食品について、彼女らが怖がっていることを実感することができました。母親である前に、一人の人間であることを、強く実感させられました。インタビューを重ねるほどに、憤りの感情を抑えることの難しさも、味わいました。現実に突き付けられている事情を考えると、私達の未来はどうなるのでしょうか。

微小粒子状物質(PM2.5)の発生源を私費で調査

私は、オンサイトによる動画撮影のみならず、公共のビデオについても調査を行いました。そして、様々なデータについての比較検討も行いました。情報は、環境の専門家から、また、実際に石油コンビナートや様々な産業の現場に赴き、インタビューを通し得ることができました。私は、1年間を掛け、私費(約2000万円)で、この動画を製作いたしました。この動画のポイントは、あらかじめ答えを用意していただいたものではなく、体当たりで得たものであり、こうしたインタビューに対して、誰も拒否することなく、私の質問に答えていただいたことは、本当にありがたく思っておりますし、感謝しています。

私の活動は、米国や英国でも紹介されており、大気汚染防止の基本形として、新たな評価を得ています。つまり、私が公開したYouTubeサイトには、全世界において閲覧していただいているようです。私は、PM2.5の源がどこで、途中でどのように変化し、そして私達のところへやってくるのか、客観的にPM2.5について説明するのは容易ではないですが、これらの根本的な発生原因、またこれらの有害性について学習しました。PM2.5は、石炭や石油の燃焼に伴い大気中に排出される微小粒子や様々な有害ガス成分などが、その原因であること、そして実際にこれら施設が適切に管理されていないこと、またその管理が難しいことについて学びました。そして、大気汚染の少ない都市におけるPM2.5の状況ついても知ることができました。いずれにしても、中国におけるPM2.5の原因の60%以上が、石炭や石油等のエネルギー燃焼に伴い発生する問題であることが分かりました。

中国で起こっている公害問題は、同時多発的で過去のどの国も未体験

中国で経験している現状は、他国では見られなかったケースで、例えば、石炭の消費量は、中国一国で世界の消費量を上回る(2013年度)こと、さらに自動車の普及率についても急速で、これほどの変化をもたらした国は、過去の歴史の中には見られません。つまり、世界で最も急成長している発展途上国であるということ、そして、消費する石炭の量の多さと質の悪さの2点が、PM2.5の問題を深刻にしていることです。私は、中国の抱える2つの問題点を明らかにし、この問題の解決に役立ちたいと考えています。その一つが、質の良い燃料への転換です。二つ目が、管理(環境保全対策)です。これらの実現に、私は、現在の「大気規制法」の改定が急務であると考えています。そして、本件について、私は全国代表人民大会(NPC)の法律委員会に情報提供を求めています。中国における「改正民事訴訟法」の関係者は、私の提案に対して考慮すると言っていただきました。加えて、石油やガスに関係する国家改革委員会は、私の提案に対して歓迎の意思を表明してくれています。

インターネット上で炎上する中国のPM2.5問題

私の「中国版TED」で紹介した動画は、ビデオサイトで放映され、2015年3月2日午後8時30分のプラットフォーム・ブロード・キャスト・ネットワークで35万回もクリックされています。また、先週段階で「中国版TED」だけでは、2000万回クリックされています。こうした現象は、マイクロブログやツイッターによる効果も大きいと見ています。私は、同じ空の下で暮らすものとして、PM2.5が他人事ではなく、自分達の事として共感を引き起こしたものと思っています。「中国版TED」が、環境問題において連帯を呼び起こしたということができます。そして、喫緊の問題として「PM2.5を無くし」、「きれいな空気を呼び戻そう!」が挙げられます。

私は、純粋な母親の立場において、皆さんの共感を得たと信じています。私の活動は、ホットスポットになりつつありますが、国内で流行っている言葉に、「私は死を恐れてはいない、正直に言うと、ここに住みたくはない」と言う表現は、禁句であると思います。私は、自分で番組製作会社を持つ考えはありませんが、こうしたテーマのドキュメンタリーが、公共放送で放映されることを期待しています。また、そうした友人が増えることを望んでいます。こうした思いは、ソーシャル・ネット・ワーク(SNS)が私を勇気づけたと思っています。

柴静のメッセージは客観性であるか?

私の、メッセージに対して、娘の病気を引合いにだし問題提起をしたことに、客観性があるかとの疑問を投げかけられていますが、人間として、人の親として、我が子の病気がPM2.5による可能性が大だと言われれば、黙っていられるでしょうか。世界的の類まれなる大発展途上国であるが故に、私達の生活を脅かす環境汚染が許されてよいものでしょうか。

あとがき

中国では、ジャーリストとして、自分の子供が大気汚染物質であるPM2.5による疾病を受けたことを題材に、環境問題を語ることが許されないようだ。恐らく、一般人なら簡単に握りつぶされたテーマであろう。中国版TED「アンダー・ザ・ドーム」が、中国政府を暗に非難する内容であったことに対して、放映された後に気づき、早速、握りつぶしにかかっている。当初、環境大臣が「よくぞ話してくれたと感謝をしている」との情報もあるが、2012年12月、米国大使館が自らモニタリングしていたPM2.5データをインターネットで公開され、世界中に知られることとなった事件と比較すると、身内から公然と公害撲滅の行動を起こしたことになる。恐らく中国版TEDには、プレゼンテーションする内容の事前検閲があったであろうが、具体的に政府批判をしている内容でもないことから、加えて、かつてCCTVで有名なキャスターを務めていたことから、その品格とでもいようか、計算されたプレゼンテーション力に、問題の本質を見ることを見誤ったというのが、中国政府サイドのぬかった点ではないであろうか。これで開かれた中国に変わるとは思われないが、ネットの持つ意味は極めて大きいことに気付かされる