シンガポールが抱える越境大気汚染問題

1.はじめに

シンガポールは、本来はマレー半島南部ならびにシンガポールおよびインドネシア(スマトラ島)で構成されていた港市国家、ジョホール王国(Johor Sultanate)の一部であった(1511〜1819年)。1819年に英国人トーマス・ラッフルが王国の許可を得て東インド会社の交易所をシンガポールに設立、1824年には、英国はシンガポールの主権を取得し海峡植民地とした。第二次大戦後、シンガポールは英国から独立し、1963年にマレーシアの一州として参加したが、1965年にマレーシア政府とリ・クワンユーの政策との確執(政策の不一致)により、マレーシアから追放された後、シンガポール共和国を建国した。

 シンガポールの面積は716km²で、これは日本の淡路島の約1.2倍に相当する。この狭い国土に、2015(平27)年7月現在の人口が547万人に達している。民族の構成は、中華系が74%、マレー系が13%、インド系が9%、その他が3%となっており、圧倒的に中華系の民族で占められている華人国家と言えよう。2014年度のシンガポールの一人当たりの名目GDP(GDP/Capita)は、日本の36,311ドルの約1.5倍の56,284ドルであり、アジアで最も豊かな国である。そうしたシンガポールであるが、かつては日本政府から開発援(ODA)を受けていた時代があり、1972(昭和47)年までに有償資金協力で127.4億円を、1987年までに無償資金協力で31.2億円を、1998年までに技術協力で239.9億円、合計約400億円に上る援助を受けていた。そうした国が、今や日本よりはるか先に往く、先進国に生まれ変わっている。

しかし、シンガポールは豊かな国でありながら、大気汚染という問題を抱えている。国内における環境規制は、極めて厳しいものの、周辺の発展途上によるインドネシアからの汚染物質の移流が大きな問題としてクローズアプされてきている。インドネシアでは、油椰子の栽培やパルプ材の農地開拓のために、大規模な野焼きが進められているが、この火種が森林に飛び火し、大規模な森林火災に発展し、その煙{「煙害」(ヘイズ:Haze)という}がシンガポール流れ込む事態となっている。ところが、解決に向けた対応の難しさの背景に、インドネシアの大手パルプ会社(アジア・パルプ・アンド・ペーパー・グループ:APP)を始め、5社が関与していることが明らかであるものの、これら多国籍企業は、オフショアのメリット(タックスヘブン)を享受する目的から、本社をシンガポールに置いている。加えて、シンガポール企業も、こうしたインドネシア企業から原料を仕入れ、製品化している会社もあり、シンガポール政府が厳しく当該企業を取り締まる状況にないのが実態のようだ。そこで、シンガポールでは、環境のNGO団体が乗り出し、シンガポールでナンバーワンのスパーマーケットであるフェアプライスや家具大手のイケア、さらには香港系のドラッグストア「ワトソンズ」などに働きかけ、インドネシアの当該企業の原材料あるいは製品販売を自粛するよう働き替えている[1]

2.シンガポールの大気汚染の実態について

 写真-1は、2015年10月2日にMarina Bay Sands Hotelからマリーナ・ベイ(Marina Bay)に向かって、朝の8時半頃に撮影したものである。天気は晴れであるが、どんよりと霞がかかったような状況で、対岸を構造物や木々を識別することが困難な状態であった。この現象は、翌朝にも見られた。始めは、朝靄やだと思って眺めていたが、日が昇るに従い明るさは増したものの、とんよりした状態は、昼過ぎまで続いた。

 写真-2は、シンガポール川の観光ボートから、Marina Bay Sands Hotelを撮ったもので、午後の2時頃になると少し青空が望めるようになったが、写真の右側の大気は、淀んで見える{ヘイズ(Haze)と呼んでおり、スマトラ島で大規模な野焼きにより発生した煙で、これがモンスーンに乗ってシンガポールを始め、マレー半島に移流してくる、いうなれば越境汚染である}。

写真-3は、同じボートからビルが林立するサイトに向かって撮ったものであるが、大気が霞んでいることがよく分かる。シンガポール川の広がるサイトには、マーライオン(上半身がライオンで、下半身が魚の像)が口から水を吐き出している。

シンガポールでは、大気汚染指数(PSI:Pollution Standard Index)を使って、汚染の度合いを告知している(表-1参照)。ちなみに、2015年10月12日現在のシンガポール・チャンギ-市のPSIは159を表示している。

PSIは、大気汚染状況を大まかに知るには便利な数字であるが、実際は地域差があり、この差を指数で読み取ることは困難である。加えて、浮遊粒子状物質汚染は、今やPM2.5の把握が不可欠であり、この観測網の整備と同情報開示が行われていない実態を見ると、GDP/CapitaはアジアNo.1であるが、人への配慮という点で途上国と言わざるをいない。

いずれにしても、2015年10月12日現在のPSIが159は、汚染度評価においては「不健康」の領域にあることを示している。アトピー患者も少なくなく、5人に1人(20%)が罹患しているとの報告がある[2]

3.シンガポールの大気汚染は、世界的に見ると

MEMORVAによる「PM2.5濃度 世界ランキング・国別順位 – WHO大気汚染データベース2014年版」[3]には、91カ国のPM2.5濃度順位が示されている。最も汚染レベルが低い国は、アイスランド7.766µg/㎥で、日本は12位で9.641µg/㎥となっている。シンガポールにはPM2.5の観測はなされていないものと考えていたが、WHOがウオッチしている値によると、31位で17µg/㎥となっている。PSIから考えて、PM2.5の値が17µg/㎥はあまりにも低すぎるように感じる。国家の平均値であると考えても、シンガポールの面積は僅か716km2であり、インドネシアからの影響を考慮すると、国家総体のPSIは平均値見ても140は超えている。

4.アジアNo.1の経済的豊かさを誇る国のジレンマ

シンガポールは、いわゆるタックスヘブン(オフショア)の国である。世界的に活躍する多国籍企業が本社や事務所を設けている国である。税金が安く、大企業にとっては魅力的なオフショアビジネスが展開できる場所として、数々の便益を得ている。これは、同時にシンガポール政府とで同様である。シンガポールが豊かであるためには、貿易ハブ港としての役割だけでなくオフショアとしての優位性を持っていることによって成立しているとも言える。かつて先進国が経験した越境環境汚染問題は、こうした性格を持つ国家はどう対処すべきか、そうでない日本からは、適切なアドバイスができる相手国ではないように考える。隣接する多くの国々が、経済を押し上げるためになりふり構わず、企業活動を推し進める。当該企業の豊かさが、シンガポールのような国にとって、豊かになる源泉である。

環境問題は、これまでタックスヘブンの国々について、触れてきた形跡がない。米国も、イギリスも、ドイツも、いわゆる欧米先進国の殆どの国の多国籍企業は、このオフショアビジネスの恩恵を受けている。ご多聞に漏れず日本の一部の企業も含まれている。

[1] アジアVIEW:日本経済新聞 10月8日 11面

[2]シンガポールでは約5人に1人がアトピー患者!?:http://column.untickle.com/atopy-singapore/

[3] PM2.5濃度 世界ランキング・国別順位 – WHO大気汚染データベース2014年版:http://memorva.jp/ranking/world/who_ambient_outdoor_air_pollution_2014_pm2.5.php