「人間社会に思いやりの心を持った日本」?

Compassion in Japan Human being society 密集状態で飼養される家畜と電車に押し込められた人々の状態:

家畜ように詰め込まれた人々

家畜ように詰め込まれた人々

私は、2015年9月2日17時01分に東北新幹線で東京駅に着き、同日17時16分発のJR東海道線「神津行き」の列車に乗り継ぎました。上野駅方面から来た電車ですので、乗客はいましたが、さほど混雑している状況ではありませんでした。しかし、以下に続く有楽町駅、新橋駅、品川駅、川崎駅からは、怒涛のごとく乗客が車両に流れ込んできて、瞬く間に身動きのできない状態になってしまいました。東京の中心地に勤められている方々は、こうした現象を毎朝、毎夕経験していると考えると、ぞっとする思いがこみ上げてきました。密集した身動きの取れない状態の時間は、居住地や勤め先の違いで、異なるでしょうが、少なくとも往復1〜2時間程度、こうした耐えがたい息の詰まるような環境にとじこめられていることになります。私はこの時、フィリップ・リンベリー、イザベル・オークショット著(野中香方子訳)の「ファーマゲドン」のコンパッション・イン・ザワールド・ファーミング(家畜たちの世界に思いやりを:Compassion in World Farming)の内容を想起しました。同書の中で、現在全世界で700億頭の家畜が飼養され、そうち2/3の470億頭は、身動きのできない密集状態の中で、病気の感染防止や育成促進のための抗生剤やホルモン剤が多く含まれている飼料を給餌され、消毒剤を降り掛けられたり、ワクチンの接種を受けたりと、まさに薬漬けの状態で飼養されているのが実態のようです。通常、健全な飼養環境で育てられた家畜が、成牛、成豚、成鶏になるまでには、牛で約1年、豚では7、8カ月、鶏では3、4ヵ月は掛かると見られています。それが、前述した身動きのできない密集状態の環境条件下で、飼料を口から流し込まれるように育てられた牛、豚、鶏は、それぞれが健全な環境条件下で育成される成長期間に比べ、およそ1/2以下あるいはもっと短期間で、成牛、成豚、成鶏の体重に達し、この段階で肉市場に出荷されているのが実際です。こうした生産形態をとる大規模家畜農家(工場)では、生産性を上げるとは、牛、豚、鶏の成長期間の短縮を意味し、いうなれば家畜を不健康な条件で育て、早期に市場に出荷することだと思っているようです。

電車に押し込められた人々は、健康でしょうか?: どうでしょうか、朝夕の2回とはいえ、電車の中で身動きのできない密集状態に置かれる1日の延べの時間が1〜2時間、その間人々は見ず知らずの人々の身体の圧力をもろに受け、加えて体臭や香水を否が応でも嗅がされ、逃れたくともかなわない環境に留まることを強いられることになります。人間は、家畜と違ってその中でも、自我を通そうとする人がいます。例えば、本や新聞あるいはスマホを離さず見続ける人々達です。これらの人々がそうでない人々にさらなる窮屈感とストレスを感じさせています。こうした身動きものできない環境に押し込められる姿を見て、あるいは経験して、私たちは「思いやりを持った人間社会」いると言えるでしょうか。都市近郊に住む多くの方々は、朝夕の通勤ラッシュで極めて強いストレスを受けており、これが何年にも亘り続くとなると、人が本来持っている「思いやりの心」が、薄れ失われていることに恐れを感じます。

電車に押し込められた人々は、不健康な家畜飼養状態に匹敵: さて、こうした現象をもたらしている原因は、どこにあるのでしょうか。JRや私鉄が悪いのでしょうか。都市おいて、人々の集積がピークに達することを勘案し、ゆったりとした通勤、通学を可能にするには、鉄道車両や路線、またバスも同様にバスの全体量の増加と路線の拡大が必要になりますが、これは現実的でないように思います。電車やバスが溢れかえった都市を想像して見てください。人々の集積がピークに達する条件に応えられる対応をとっとならば、過剰な施設・整備となることは必至であり、現実的はありません。会社や役所など勤め先によっては時差出勤を取るなどして、こうした状況を避ける努力もしているところもあります。でも、実態は、朝夕のバス、電車の殺人的なラッシュに巻き込まれている生活の形が、常態化しているのが現実です。 家畜の密集飼養と異なるのは、密集化している電車の中で、伝染病予防のための薬が撒かれるわけではありませんが、人間が持つ「思いやりの心」などは、累積的に希薄になって行く恐れは、容易に想像がつくと思います。つまり、密集状態におかれた多くの人々は、知らず知らずに強いストレスを蓄積していることは、容易に想像できることです。したがって、人間社会が持っている「思いやりの心」も、こうした朝夕の通勤ラッシュで、密集環境に晒される人々の心には、育ちにくいと言わざるを得ません。都会の人々が、ギスギスして、人に優しく接しられない背景の一端は、こうした環境条件の中から醸成されてきたように、私は思えてなりません。

経済発展のバロメーターとして見られた時代と人への思いやり心の喪失: 戦後、通勤ラッシュの姿は、一時期は経済成長の証として、むしろ人々の心の発揚のために利用されていた時代があります。映画館の映画の合間にあったニュースで、あるいは昔のテレビニュースで紹介されていたのを思い出します。しかしこの姿は、戦後の日本人、その中でも特に都市における人々の心の面について、大きなリスク(人を押しのけてまでも、自分の居場所を取ろとする行為や、譲り合う精神など欠落)を醸成させてしまったようにも考えられます。2008年6月に起こった「秋葉原通り魔事件」を始め、都市部で人通りの多い場所における無差別な、人への殺傷事件の頻発は、都市に生きる人々の心のストレス、「人を思いやる心」が失せている一つの証しではないでしょうか。 知らず知らずに、私たちは身動きのできない密集状態(環境)に追いやられることで、「人を思いやる心」(Compassion)をなくし、他の人々を傷つけることに無頓着になってきているように感じるのは、私だけでしょうか。団塊世代(65歳〜70歳未満)の子供の頃は、比較的多くの人々が貧しかった。でも、近所の人々との交流は頻繁で、互いに助け合って(私の場合は助けらえる機会が多かったように記憶しています)生きていたことを思い出します。

「人間社会に思いやりの心を持った日本」への変革を): 殺伐とした都市が持つリスクの分散は、結論として適当サイズの都市の再構築、つまり分散型の街づくりが求められていると考えます。家畜のように密集形態で生活を強いる都市造りを避けるべきであり、それが「家畜にも思いやりのある世界を」(コンパッション・イン・ザワールド・ファーミング:Compassion in the World Farming)をヒントに、「人間社会に思いやりの心を持った日本」(Compassion in Japan Human being society)の新たな都市環境整備を期待したいと考えた背景です。 優しい交通網とは、乗車する人々にストレスを与えるものではないと考えます。東京は、緻密な交通網を持った、世界でも類まれな便益を持った都市と紹介されていますが、私は、以上縷々述べてきたとおり、東京は人に優しい都市とは言えないと思っています。世界一「安全」、「安心」と言われていますが、果たしてそうでしょうか。人々にとって課題の多い街であると、見ています。その意味で、都道府県それぞれが、主体性を持った街づくりが可能な、法整備に基づく構造改革が必要だと考えます。 中央集権国家の弊害を、早く取り除き、海外から優れた人々を呼び寄せることできる国家改造を期待したものです。 東京は、「人間虐待都市」: 東京は、私の目からは「人間虐待都市」と言っても過言ではないと、写っています。老人が住みにくい、働き盛りの中年は、通勤ストレスで疲れている。若者に希望と活力を与える都市とは、言えないと思います。 写真は、私が乗った電車で、横浜駅に到着し、殺人的な混雑の中から家畜のように流し出されるようにホーム降り立ちました。すぐには改札に向かって歩けず、思わずその場で大きな深呼吸をしてしまいした。

「人間社会に思いやりの心を持つ日本」(Compassion in Japan Human being society)を再構築すべき時代が到来したと思いました。折しも、私たちの地球は、温暖化の進展によりダメージを受け始めています。また、向こう30年以内に首都直下型の地震など、大災害に見舞われる確率も極めて大であると喧伝されています。日本列島を如何に分散型の安全、安心の国家にするか、私は急務だと思っています。これからも、こうしたメッセージに加え、自らも「思いやりのある日本の実現」に向けて、行動を起こしていきたいと考えています。

「Facebookは、政治や政策の話もありだと考えます」

以下の作文は、日本最大のNGO≒“ロータリークラブ”を、サブナショナルと位置付け、私の思いを作文したものです。

ファイスブックには、政治や政策に絡む問題について、記述される方はまれですね。美味しそうな食べ物や楽しい話題、そして、自分の現在いる場所の開示、さらに趣味について、人によっては自分の行っている事業のことなどを紹介したりしています。しかし何故か、主義主張を記述される方は少ないようです。触れたくないのは分かりますが、SNS(ソーシャルネットワークシステム)の発達は、人の主義主張ができる効果的なサイトとして活かされるべきだと私は考えますが、こうした考え方を受け入れる人は少ないのでしょうね。

一方で、SNSの一つであるYou Tubeは、露骨に主義主張のやり取りを映像化、あるいはインパクトの強い文字配信が積極的に行われています。NHKニュースや、朝日放送の報道ステーションでは伝えてくれない情報(ただし、どこまで信じられるか、自分で検証が必要なケースも考えられる)などがあり、ついぞ見入ってしまうものもあります。個人の主義主張には、多様性を受け入れる必要性が前提になければなりません。好き嫌いで判断したり、“ロジックとして納得できるから、その考えにも私は賛成である”と思ったり、“特定の個人や国家に対して偏見を持って見ているので私は反対”、といったように、主義主張に対する反応には当然、多様性があって当たり前だと私は考えています。現在のFacebookは、そんなに肩肘張らないで、“さあ、楽しくやろうぜ”と言った点から、広く受け入れられているのかも知れません。

ロータリークラブのコミュニケーション

かつて、私がロータリークラブに所属していた頃、ゾーンや地区、さらに個別クラブ間を横断したコミュニケーションツールとして、“ロータリーインターネット”が立ち上がったことがありました。ロータリーインターナショナル(RI)の方針に対する賛否や、それぞれの言い分が吐露されたり、「ロータリー憲章」の解釈を巡って議論が炎上したり、また個別クラブのあり方や存立に関する議論などが、結構頻繁に、かつ熱いやり取りがあった時代がありました。この時代には会費がありましたので、総会も開かれています。

それが、Facebookの登場により、全く趣の変わった情報交換が展開されるようになりました。言葉でやり取りするより、映像の方が何倍も伝えたいことが明確にできるし、それまでの文字による情報交換から、スムーズに映像(静止画のみならず最近は動画も増えています)によるコミュニケーションに移って行ったというのが実際でしょうか。Facebookへの移行は当然の成り行きと言うのでしょうか。多くの人がスムーズに受け入れた結果の、コミュニケーションスタイルとなったようです。

私も、ロータリアンの時代に、“ロータリーは政治や政策については語らない。そうしたボランタリー組織である”と教えられた記憶があります。何も言わず行動している姿を見せて、これが「ロータリー精神」だと言った形のメッセージをよく目にしました。でも、ボランタリーな活動そのものを効果的に進められるには、やはり政治や政策との太い関わりの中で成立していることを、皆さんは語らない。学校の生徒を動かすには、教育委員会との関わりは欠かせません。社会の中の諸活動には、それぞれに関係する行政組織との良好な関係構築は不可欠です。

ロータリーの開発途上国支援

開発途上国の支援についても同様です。相手国政府を無視した支援は考えられません。こうした関わりの中で、何故か大きな矛盾や課題について、表に出すことを避けてきたように、私は思っています。より多くの人に現実を知ってもらう。その意味で、ロータリークラブは、沢山の問題事例に関する情報を持っている組織であると考えています。言わば、「情報の宝の山」を抱えています。「情報の宝の山」としたのは、ボランティア活動における様々な問題点や課題につきあった経験が豊富にあるということ。これが開示されれば、問題解決のための資産に生まれ変わると見たからです。

例えば開発途上国で、飲み水確保のために、未就学児童が片道2時間も掛けて水汲みをしている。こうした子供達に教育の機会をと考え、井戸掘りの支援事業を行ったとします。めでたく井戸を掘り当て、未就学児童の過酷な水汲み労働は取り除くことができた。さて、この子はすぐさま学校に通い、テキストを前に勉強に付くことができたのでしょうか。

ロータリーのプロパガンダ誌には、住民の喜ぶ写真が紹介され、これが支援の喜びと言った姿を良く目にしました。しかしその後、子供たちはどうなったのか、フォローした情報を目にすることは少なかったように思います。水汲みの重労働はなくなったが、学校には行けずに相変わらず家事の手伝いで1日を過ごしているかも知れない。こうした支援は、課題の一断片を捉え、その断片の解決が支援目的となっているケースが多いようです。

開発途上国の多くは、個別の問題処理では根本的な課題解決には向かいません。これらは政府レベルで、行政単位レベルで、当該国の実態を把握する必要があります。村やコミュニティーへの支援だけでは、まさに課題の断片の処理に過ぎません。そういう意味で、開発途上国支援は、国対国、地方行政対地方行政、そして他のNGOやロータリークラブが関与する形である必要があります。問題の根本に関わる必要があり、そのためには支援プロジェクト単位で組織化が不可欠です。

しっかりしたポリオ支援プログラムと中途半端な支援

ロータリーのポリオ支援が、その良いケースでしょう。「ポリオの撲滅運動」は、国連のWHO(世界保健機関)やUNISEF(国際連合児童基金)、米国疾病予防管理センター(CDC)、そしてロータリーが関わっています。綿密に練られた計画に基づき、開発途上国に入って、関係者(医者や看護師、多くのボランティア)によって運営されます。ポリオのワクチンは温度管理が重要で、そのための施設が必要となります。しっかりした建物の中での管理か、また戸外のテントでの管理か、その場合は仮設電源が必要となります。こうしたプロジェクトを成功させるために、実に多くの人々が関与し、そしてお金が動きます。ロータリアンは医者であろう協力者であろうと、当然ボランティアです。ポリオの撲滅運動に歴史があり、プログラムもしっかりしている。しかし、他のプロジェクトはどうでしょうか。事前調査やフィージビリティスタディーなど、推進プログラムがあいまいであることが多い。したがって、支援の在り方も前述した通り断片的になってしまい、根本的な課題に触れずじまいで、中途半端な支援に終わってしまうのが多いのではないでしょうか。こうした、問題点や課題を表に出し、支援の在り方について、その実態をより多くの人々に知っていただく必要があると思います。

開発途上国支援にはプロフェッショナルが必要

日本人と外国人、先ず、考え方が根本的に異なることを前提に考える必要があります。私たちの価値観で物を見ると、見誤ることが多々あります。したがって、開発途上国に向けた支援あるいは援助は、やはりその道のプロフェッショナルが必要だと考えます。先ず、ハードネゴシエーションは当たり前ですし、カウンターパートが責任を持って受け入れるには、それなりに相手国の政府や地方政府とのコネクションが必要不可欠だと考えます。まれにその支援が、すでに日本から送り込まれているJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊と、コラボレーションできた話も聞いたことがあります。

ロータリー国際支援は、ポリオ支援を除いて、クラブ単位で進められる海外支援テーマを、長期に継続することをしない暗黙の了解があるようです。つまり、限定的(断片的)なテーマを対象に単年度で終わり、その代りに幅広く多くの断片的テーマの実績を作ろうとしているのが実際です。日本の青年海外協力隊とのコラボレーションで、思いのほか上手く行った支援テーマがあったとしても、青年海外協力隊の実態を知ろうとしないのがロータリアンです。例え知っても、それ以上のことはロータリーの海外支援コンセプトと異なるからか、日本国政府が送り出している青年海外協力隊については、深く知ろうとする動きは見られません。国家が進めている財産とのコラボレーションを積極的に考えようとしないロータリーは、おのずと視野は広がるとは思われません。青年海外協力隊は日本のODAの一つですが、協力隊員らの多くは純真に開発途上国の支援をしたい、という思いでその世界に飛び込んでいます。しかし、現地に派遣され、その現地条件の劣悪さ、あるいはカウンターパートの理解不足や資金的な不足等々により、自分の任務が遂行できなくとも、彼らの意見(提案や新たな具申、予算要求等)や苦情をJICAにフィードバックもできないのが実態のようです。ロータリークラブと出会って、彼らのミッションが良好に続けられるケースはごくまれですが、こうした場に遭遇する青年海外協力隊員は幸せです。

かつてのODAと箱物援助

日本は、かつて米国に次ぐ世界第2位のODA大国として、多額の援助を進めてきた実績がありますが、いずれも「箱物」(橋や道路、あるいは空港や発電所等)と言われるものの支援が多く、施設の完成後はその維持費の高さに、多くの施設は継続使用されず、初期目的を果たさないままに朽ちてしまったものもあるようです。皆さん、ご存知でしたか、初期の北京空港は日本のODAでできたものです。中国政府は、この空港の株式を上海証券取引所に上場すると言う、ODA始まって以来の珍事が発生。さらに新空港開港に当たって、本施設が日本のODAで実現できたものと言った記録が、施設のどこにも示されなかったので、日本の外務省関係者と、中国政府との厳しいやり取りがあったようです。

それはともかく、日本が高度経済成長の絶頂期までは、少なくとも潤沢なODA予算外が計上され、前述した箱物をせっせと作ってきたのが実態です。しかも、これらを請け負うコンサルタントの仲間内では、予算の半分はアンダーザテーブル(under-the-table)で消えるもので、これがうまくやれないコンサルタント会社は仕事ができなとも言われていた時代がありました。こうした問題は、建設コンサルタントのみならずAMDA(国境なき医師団)が絡む案件でもあったようで、日本のODAが如何に主体性のない支援を行っていたか、ご理解いただけると思います。プロジェクトの成功のための必要悪と言うのは、あまりにも国民をばかにしたやり方であり、あきれるばかりです。

「Japan as No.1」の宴が終わり、ODA予算は縮小され、高度成長期のような出来事は改善されてきたと言われていますが、せっかく施設整備を行い、その施設の運用技術を現地技術者に移転しても、そのスキルが民間会社に高く売れるので転職してしまうと言ったケースは、決して「まれ」な現象ではありません。日本の高度成長期までの開発途上国への援助は、前述したような状況があったようですが、ODA資金は言うまでもなく国民の税金です。以上のような状況が皆さんに公開されていたとした場合、皆さんは、どのような行動を起こすでしょうか。物事には表と裏がある、ある程度仕方がないと思われるでしょうか。

戦後、日本の繁栄は、同じように海外からの資金や技術援助で実現されたものです。日本は1970年代初頭には、海外からの借金を終え、その後ドナー(援助)国に変わりました。援助を受けて繁栄を得た日本ですから、今度は同じように開発途上国の繁栄を支援する。これは当然のことだと思いますし、それができている日本を誇りに思います。しかし、どうでしょうか。そのように多額の税金を海外援助に向け、相手国の繁栄を期待した。でも、そうした国々から、日本への感謝の声は私達に届いているでしょうか。私はそうは思われません。お隣り韓国、そして中国には日本から多額に資金援助のみならず、技術移転も行われてきました。そして、今日の繁栄へと結びついていると、そう私は理解しています。それが過去の戦争を持ち出し、戦時における理不尽な行為に対して謝れと、何度も突き付けられる実態は、日本のODAが、日本国家のために活かされなかったことの証のように、私は思います。故に、ボランタリーであろうと、国の支援ならなおさらです。支援行為で交わされる実態、かっこよく見える表ではない、裏の事実もそれなりに公開してしかるべきだと、私は考えます。コインの表を伝える人は、華々しくその成果を語れますが、実は、その裏にはなかなか表現し辛い事象があった。こうしたコインの裏も知っておく必要があると、私は考えます。皆さん、どう思われますか。

青年海外協力隊と次代の人材育成について

青年海外協力隊による支援は、今も続けられています。残念ながら、彼らの援助スタイルは今日も変わっていません。自らのスキル(個人属性に依存するのが一般的)を精一杯使って、開発途上国に役立ちたい。心根は見上げたものとして、彼らにエールを送りたい。しかし、日本の外務省ならびにその下部組織であるJICAは、何かが分かっていない。それは、彼らを人材として育成するプログラムを用意していないことであると、私は見ています。

最も教えてもらいたい点は、マネジメントスキルです。つまり、「人」「物」「金」「情報」(技術)、「環境」の経営資源をどう使うと、自分に与えられたミッションが実現できるか。事業の計画、これに経営資源を配分、支援プロジェクトの進行途中で修正の必要があれば、必要に応じる。一人の青年海外協力隊員が事業を成すためのスキル(≒「マネジメントスキル」)を身に着けさせることです。従来の箱物援助に掛かる資金に比べれば安いものです。毎年の青年海外協力隊員の合格者数が、仮に2000人とします。同隊員を国際ビジネスマンに育てるために1億円を使うと、合計2000億円。2000人の国際人を育てると考えたら、決して高くはないと考えます。

日本政府が、世界で活躍する時、彼らがどのようにふるまうかで、日本のポジションが決まる。国連の常任理事国入りは、人材の育成あるのみだと考えます。徹底した国際ビジネスマン養成の場が、青年海外協力隊員に用意される。そうなると日本が変われると考えます。

現実はどうでしょうか、多くの青年海外協力隊員が帰国して、一般企業に就職できない理由の一つに、「浦島太郎現象」があります。経済社会と隔絶された環境に長期間放置されれば、経済観念は生まれないし、帰国しても一般社会になじめないのは当然の帰結と考えます。

いや、いかなる劣悪な環境でも衛星を使って通信はできます。中央とのコミュケーションは勿論、横の交流も容易です。ネット社会の青年海外協力隊員を、次代を担う国家の人材資源と考えるのであれば、これまでのプログラムの在り方は、間違っているように考えます。国に応じた優れた実践向けのODAコンサルタントを育てると言う視点もありだと考えます。マネジメントの勉強と語学(英語と現地語はネイティブスピーカークラスに)は必須ですし、国を代表しているというマインド教育も厳しく植え付けることが欠かせないと考えます。

以上のことが行われれば、ロータリークラブのような国際NGOが進めるボランタリーなプログラムもリードできますし、そうすることで、日本国ならびに日本人に対する多くのファン国や、人々を生み出すことが可能だと考えます。言うなれば、近い将来に開発途上国に向けた、武器を持たない平和部隊の構築と編成が可能となります。

青年海外協力隊には、日本のこの先の生き方を決める存在になってほしいものです。

ゼロ戦からMRJへ

零戦からMRJへ:https://www.youtube.com/watch?v=6m2R_4xm4jw
日本の誇る零式艦上戦闘機の初飛行は、私の生まれる8年前の1939年でした。極めて運動性能の優れた戦闘機として米国を怖がらせたようです。最高時速518km/hで、機体が軽く航続距離も長かったようです。零戦は終戦までに10,000機以上も造られたようです。
https://www.google.co.jp/search…
戦後から19年が経った1964年(零戦から25年)、日本は米国から飛行機製造が許され、初めて製造した飛行機が、双発のターボプロップエンジン方式のワイエス・イレブン(YS-11)でした。座席数64席、航続距離は1,110km、巡航速度444 km/h のコミューター機として、延べ180台造られましたが、1971年に製造が打ち切られています。
聞くところによると、米国は日本に飛行機を造らせたくないという意図があったようです。理由は、航空自衛隊機は米国の戦闘機を購入し配備していますが、日本に配備された後、これら戦闘機は日本側で整備ならびに修理が行われています。適切にメンテナンスを行うには、当然、戦闘機の設計図が必要となります。日本は、米国から提供された戦闘機図面を良く理解し、整備を繰り返す中で、米国から引き渡された時よりも運動性能を始め様々な改良を加え、戦闘機の性能を大幅に向上させているようです。

こうした実態を見た米国は、正直日本に飛行機を造らせたくないと言うのが、その背景にあったようです。つまり、76年前の零戦の性能を想起させたのかも知れません。零戦から25年後にYS-11を、そしてYS-11から43年経って、日本はようやくオリジナルジェット機の完成を見たのが、三菱のMRJ(Mitsubishi Regional Jet:http://ja.wikipedia.org/wiki/MRJ)で、当初、3月25日に試験飛行が予定されていましたが、残念にも未経験による不具合が明らかとなり(ニュースから)、試験飛行は8月に延期されることになりました。

私は、決して戦争を望む者ではありませんが、日本の技術の粋を集めたジェット機が、世界の空を飛び回る姿を、早く見たいと思っています。だってそうでしょう、日本の技術力を証明する絶好の機会ですか。

中国のPM2.5問題と日本の「環境行政とビジネス」

1月16日(金)、中国北京のPM2.5(http://www.cn.emb-japan.go.jp/consular_j/air_pollution.pdf)の濃度が指数で最悪のレベル6(赤褐色=301~500㎎/m³)に達した。米国の大使館によるモニタリング測定値では700㎎/m³以上を記録したようです。日本の経験では、大気汚染が深刻な状況にあるときは、その他の汚染問題も深刻であったようです。中でも水質汚濁問題は深刻で、日本では田子の浦のヘドロ問題、また戸畑、若松を挟む洞海湾の汚染は深刻さを通り越し危機的な状況にありました。したがって、もちろん、東京湾、多摩川、また大阪湾等主だった都市に面した沿岸ならびに河川は深刻な汚染問題を抱えていました。筆者の経験から、水質汚濁問題がそれなりに改善が見られないと、大気汚染問題の改善には至らないと思っています。なぜならば、水問題は日常生活に直結することは勿論のこと、様々な生産工場においても水は、冷却水として、洗浄水として、あるいは原料として、そして水生生物で私達の食糧となる漁業や農業資源と言った一次産業に多大な影響を与えます。日本の大気汚染問題に改善が見られたのは、水質汚濁問題が改善に向かった後だったと記憶しています。

ここで何が言いたいかと申しますと、中国のPM2.5問題は、その根っこに深刻な水質汚濁問題が横たわっているということです。四日市の大気汚染、すなわち四日市喘息は亜硫酸ガスに加えて浮遊粒子状物質がその原因だと紹介されいますが、浮遊粒子状物質中には当然PM2.5も多く含まれていたことは想像に難くないと思っています。それはともかく、上述した通りPM2.5が深刻であるその背景には、より深刻な水質汚濁染問題が控えている。今日の中国には、日本でかつて言われていた「激甚公害」を抱えた「激甚公害大国」と言うことができると思います。人命の尊重、健康で文化的な生活を保証するのが国家だと考えるのならば、中国はそれには相応しくない大国と言えます。

この度、「環境技術会誌」2015.1(第158号)p.18に「環境行政とビジネス(その1)」と言うタイトルで小論文を書かせていただきました。この小論文の見どころは「外圧(貿易摩擦)の影響を大きく受けて開催された公害国会(第64回臨時国会)」(環境行政とビジネス)です。pdfを添付しましたので、是非、ご覧なっていただきたいと思います。

 

谷學が考える養豚経営革命

微細気泡による養豚排せつ物処理141009pdf②:日本における豚肉の自給率は、2011(平成23)年現在で52%であった。過去9年間では、豚肉自給率の推移は50~55%で、湯輸入率が最も高かったは2009年の55%、一方もっとも低かったの2005(平成17)年の50%で、それぞれの輸入量は前者が約7億トン、後者が8億8千万トンであった。日本が輸入している相手国は、1位が米国、2位がカナダ、そして3位がデンマークとなっている。今後の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)において、豚肉の輸入がどのような状況に向かうのが不透明な部分はあるが、養豚業界としては、自給率を高めて行きたいとするのが望ましい姿であろう。その意味で、養豚経営革命は喫緊の課題であろうと考える。そこで、神奈川県の事例ではあるが、養豚経営にはまだまだ生産性を挙げる猶予があることに着目し、経営改善の一手法について、提案書としてまとめた。それが『神奈川県下における養豚業の経営革新141217』(提案書)である。

バルセロナとコロンブスの大航海時代と森林破壊

コロンブスの塔(Monumento a Colon14):2014年8月(月曜日):コロンブスの記念塔は、スペインのバルセロナのウォーターフロントにあり、クロム通りの突当りのロータリーに建っています。北北西には、ランブラ・デ・サンタ・モニカ通り面して歩行者天国のような“ラ・ランブラ”通りがあり、両サイドにはパフォーマー達がエイリアンの格好や悪魔のコウモリといった出で立ちで、蝋人形のように動かず立っています。コインを渡すと、ちょっとしたサービスをしてくれ、いろいろなパフォーマンスを見せてくれます。歩くだけで楽しい時間を過ごせる所です。私はこの後、地下鉄に乗ってケーブルカーのあるパラレル(Paral Lel)まで行き、ケーブルカーとロープウェイ乗り継いで“モンジュイック城”(Montjuïc:カタルーニャ語)に上り、バルセロナの港を見下ろすとともに、地中海をも臨むことができました。青い空に青い海、そして心地よい海風を受け、しばしコロンブスについて、思いめぐらせていました。

コロンブス(英名:Christopher Columbus、イタリア語:Cristoforo Colombo)[1]と言えば、1451年頃に誕生し、 1506年5月20日に没しています。したがって55歳の生涯を送ったことになります。コロンブスはイタリアのジェノバ(Genova:イタリア半島の西側の付け根にある港町)で生まれ、1492年(41歳頃)にスペインのイザベラ王女の支援を受け、インドに向かう西回りのルートを探すべく航海を行った結果、最初の辿りついたのがバハマ諸島の一角だったようです。当時の船乗りは東回りで喜望峰(南アフリカのケープタウンにある岬)を抜け、マダカスカル島(バオバブの木で有名な島、また、すべてのサルの3/4がマダカスカルの固有種と言われています)を経由してインドに向かう航海が一般的であったようです。コロンブスは逆の航路を発見しようと、冒険を行い、バハマ諸島を発見、第4回目の航海で南アメリカ大陸発見しています。

14世紀の後半(1492年頃)と言えば、日本では室町幕府の第十一代将軍「足利義稙」(あしかが よしたね、1466年9月〜1523年5月)の時代、いうなれば室町中期に当たります。ちなみに室町幕府は、1573年(16世紀後半)に織田信長が第15代将軍「義明」を京都より追放し滅ぼしました[2]

実は、大航海時代は、一方で貴重な森林資源を破壊した時代だとも言われています。その背景には木造船の材料として木材を多用したからだと言われています(もちろん燃料も含みます)。ポルトガル、スペインは自国の木を伐りつくし、中東のレバノン(イスラエルとシリアに挟まれた小国)まで杉の木の伐採に遠征していたようです。レバノン杉は太く背丈が高いことから、1本の木で帆船のマスト1本を無垢で作ることのできることから、造船に多用されていました。レバノンには優れた杉が繁茂していたようです。太く立派な杉(日本のような杉の木ではなく、どちらかと言えば松に近い品種)だったようです。スペインやポルトガルの造船関係者がレバノン杉を買い求め(切り倒し)に頻繁に通ったようです。

レバノンと言えば、砂漠の国のイメージがありますが、今でもレバノン山脈(3000m級の山々が連なる山脈)で、山には雪が降り、その雪の「白」をアラム語でラバンと言い、これがレバノンという語源になったと言われています[3]。レバノン杉は腐りにくく丈夫であることから、古代エジプトのピラミッドの造成のために大量に伐採されたと言われています。その後、15世紀の大航海時代には追い打ちをかけるようにレバノン杉が切り出されたという訳です。昔は、巨大な杉の木で覆われた森林国家だったことを象徴しているのが、レバノンの国旗[4]です。赤い横の太線の間に緑の杉の木があしらわれています。2005年に「杉の革命[5]」が起こっています。これはレバノンがシリアに侵攻され、これに対してデモ隊でシリア軍を追い返したということから、この活動にちなんで「杉の革命」とアメリカ人によって命名されたようです。

コロンブスの大航海時代は、この他、世界に伝染病をまき散らした時代でもあります。汚染されていない地に、様々な菌を抱えた船乗りたちが、無垢の現地人に菌を伝染させたという訳でしょうか。現在も、「空飛ぶ寄生虫」や「エボラ出血熱」の感染を目にすると、このパターンは基本的には変わっていないようですね。これは、私の個人的見解ですが、現在は多くの国々の人々が飛行機を使って、いとも簡単に他国へ移動しています。飛行金の中は、完全な閉鎖空間であり、見方を変えれば細菌の培養器と言われても致し方ないように無防備です。私は、そう強く実感します。色々な国の人々が狭い空間にひしめき合っている訳ですから、感染のリスクは当然高いと見るべきでしょう。今も行われていると思いますが、開発途上国が目的の旅の場合、予防接種をした記憶があります。確か、タイ国やお隣中国に旅行する場合、1970〜80年代初頭頃までは予防接種が義務付けられていたと記憶しています。

バルセロナの港に建つ“コロンブスの塔”から、話がだいぶ横道にそれてしまいましたが、“モンジュイック城”から望むバルセロナの街、港、そして地中海、素晴らしい眺めでした。バルセロナは、カタルーニャ州の州都で、今、独立運動の動きがあるようですね。スペインからバルセロナを外したら、国家としての価値が大きく下がるような気がします。ここには、かの有名な“サクラダファミリア”(Temple de la Sagrada Familia)という奇怪なカトリック教会があります。この教会の建設は、1882年に始められ、2026年に完成予定だそうです。次回は、“サクラダファミリア”について、写真を添え紹介したいと思います。

[1] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9

[2] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E7%94%BA%E5%B9%95%E5%BA%9C

[3] http://jp.ask.com/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3%E5%B1%B1%E8%84%88?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com

[4] http://jp.ask.com/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3?lang=ja&o=2802&ad=doubleDownan=apnap=ask.com

[5] http://jp.ask.com/wiki/%E6%9D%89%E3%81%AE%E9%9D%A9%E5%91%BD?qsrc=3044&lang=ja

13年前上梓した「環境ラボビックバン」と地球温暖化

8Y2A4399 (2)13年前の2001年に上梓した著書「環境ラボビッグバン」に地球崩壊のシナリオを、出展(ダイアモンド第2回エコデザイン・ワークショップで)で聞いたものをまとめたものがこの表です。すでに第一段階は過ぎ、現在は第二段階に入っています。科学者は、すでに20年以上も前に、今日の姿を予測していた。温暖化が起こす様々な不都合(豪雨、猛暑、竜巻、台風の巨大化、干ばつ)によってもたらす被害は、すでに2014年の広島豪雨と土砂災害、台風18号と巨大建造物の倒壊や土砂災害等々、13年間掛けてレジリエンスに向けた努力が払われてたとしたら、被害は最小に抑えられたかもしれません。現実の被害の大きさからして、レジリエンス(正常な社会生活回復力)に向けた様々な論議が交わされ、前進を期待したいのだが、国会は冥福とお見舞いだけで、これらの温暖化による対策の議論がされないのはなぜでしょうか。注:書籍は13年前のものですが、在庫はあるようです。今なら1000円/冊(消費税込み)で販売可能だそうです。お問合せは「環境コミュニケーションズ」03-3404-5714/http://www.kankyocom.co.jpにお願いします。
labo[1]ボーダレス時代の環境モニタリングビジネス指南書。国際競争を導入したダイオキシンの精度管理や、IT、PFIを活用した環境モニタリングの実現を提唱。
■2001年7月31日発行 
■A5判/200頁/本体価格1800円+税(送料340円)
■ISBN4-87489-136-9ボーダレス時代の環境モニタリングビジネス指南書。国際競争を導入したダイオキシンの精度管理や、IT、PFIを活用した環境モニタリングの実現を提唱。
■2001年7月31日発行 
■A5判/200頁/本体価格1800円+税(送料340円)
■ISBN4-87489-136-9

日本はニクソン大統領の脅しを受け、環境行政に力を入れ成果を上げた国

1978年の改革開放以来、中国は目覚ましい経済発展をしています。2009年にGDPで日本を追い抜き世界第2位の経済大国になりました。中国の経済発展は、果たして良かったのか悪かったのか、現時点では評価は難しいところですが、地球環境の持続性と言った点からは、大きな負荷要因を抱える国として、望ましい状況にはない。日本は、かつてニクソン大統領から「公害を垂れ流す国」と環境教書で脅かされ、慌てて公害国会を開催し、重要14法案を成立させ、1971(昭和46)年に環境庁を誕生させ環境行政をスタートした経緯があります。環境への取組みが主体的ではなかったとはいえ、日本は10年後には見事に公害を克服した国としてOECD(経済開発協力機構)に高く評価を受けました。動機はともあれ、日本人気質が公害撲滅に向かって一丸となって取組んだ結果は、環境改善という大きな成果を創り出すことに成功しました。

私の中国への思いは、経済発展の必要性は分かりますが、人命を犠牲にしてまでお金を追及するあり方は、おかしいと気づいていただきたい点です。国家のリーダーは往々にして経済発展が、リーダの仕事だと認識しているようです。豊かさが、国民が求めている姿だと思い込んでいる節があります。団塊の世代が後期高齢者に近づこうとしています。3人に1人の老人大国がすぐそこに迫っています。高齢者破綻、孤独死、過疎を通り越し限界集落化している地方の村、高度経済成長を続けてきた先の姿は、このような老人が不安の感じる、不都合な社会形成ではなかったはずです。

他国に脅かされても、動じない主体性を持った国家づくりを期待したい!

中国に対する戒めは、強く求めるにしても、自国日本のあり方について、もっと青春に汗し働いてきた老人に優しい、安寧に暮らせるシステム作りに、力を入れるべきです。日本が理想郷になる。言葉では簡単に言えますが、政治や経済の仕組みは、その方向を目指しているとは、多くの老人のみならず、若者も感じているのではないでしょうか。やはり、現在の資本主義では、格差を生む社会形成に合った仕組みのように思います。教育、人材育成のあり方を早急に改める必要を感じています。ICT(Information and Communication Technology )は、世代を超えて格差を生む形となっています。学校教育における浸透はもとより、社会人になった大人がこれを学ぶ機会(それを業としている人々は別です)を、またお年寄りに向けた学ぶ機会も密度高く行える仕組みをが必要だと考えます。好きや嫌いで受け止めるべきものではなく、これからの社会の恩恵を受けるには欠かせない基本的なスキルと認識していただく機会を設け、積極的な刷り込みのための取り組みが必要のように思っています。

日本企業の「CSR」(企業の社会的責任)の取組みは、アジアで最下位?

世界が環境問題に対して、真剣な取り組みを開始したと思われるのは、1992年のリオデジャネイロで地球サミット[1]が開催された後だと、私は考える。リオサミットでは、140を超す国や関連組織が地球資源を持続的に活用するための取り決めである「アジェンダ21」を採択し、各国はこのアジェンダに沿って新たな環境関連法律の制定や改正などが整備されるに至った。特に地球資源をより効率的に活用するために、省エネルギーや省資源化を高めること、また様々な生産活動においても廃棄物を限りなく減らし、使える資源の再生や再利用に努め、さらに製品の長寿命化やバイオマスや風力など再生可能なエネルギー活用を積極的に進めるといった、環境に配慮した経済活動を含む諸々の活動に芽生え始めたように感じられた。事実、世界の企業など多様な組織が環境管理システムの国際標準であるISO14001の認証取得の高まりを見せたのも、リオサミット以後のことである。このISOの浸透に伴い、企業の環境への取組みをディスクローズすることで企業価値を高めようと、大手企業では一斉に環境管理報告書が作られるようになった。しかも、これらのレポートは関心のある者には無料で配布されていた。企業の環境への取組みは、企業価値を高めるものとして、IR(Investor Relation)情報として使われるようになり、一時は環境活動に熱心な会社の株価は値上がりするとの思惑から、SR株の取り引きが盛んに行われた時期もあった。こうした流れの中で、2000年6月にグローバル・レポーティング・イニシアティブ(GRI:Global Reporting Initiative)[2]が持続可能性報告書のガイドラインを発表し、日本でも大手企業はこのガイドラインに沿った「環境・社会報告書」あるいは「CSRレポート」といったタイトルでレポートが作られるようになった。当初は紙媒体が主流であったこれらレポートも、省資源という視点からデジタル媒体に変わり、ネットで公開される形に変わった。いわゆるCSRレポートの基本的な考え方は、企業の存続要件として、経済的(財務的)な自立に加え、社会的貢献、そして環境への取組みの3つがバランスよく実行されることで成り立つとするもので、これを“トリプルボトムライン”[3]と呼び、企業存続の要件として説明されている。ところが、日本では2008年のリーマンショック[4]や3.11の東日本大震災(2011年3月11日)、続いて東電福島第一原子力発電所の事故などに遭遇したことにより、日本経済は一気に冷え込む事態となった。これ経済的な不祥事や未曾有の事故は、2008~2012年の京都議定書の約束年も重なったこともあって、企業のCSRへの取組みが急速に細くなってきたように感じるのは、私だけでしょうか。真山仁著「黙示」には、“CSRは画餅、所詮は本業に余裕ある企業のきれい事的の要素を拭えない”と書かれている。

そして、これを裏付けるような2014年7月⒛日日経朝刊9面に乗ったコラム「データは語る」で「アジアの消費者は価格よりも社会貢献を重視」(写真参照)、価格が高くても社会や環境に貢献する企業の商品を買う人の割合は、フィリピンが最多で79%、ついでベトナム、タイ、インドネシアと続き、一人当たりのGDPがアジアNo.1であるシンガポールは48%、日本はなんと最低で33%と報告されていた。ちなみに世界平均は55%となっている。寂しいことだが、この日経の記事は、日本が環境への取組みにおいて、世界をリードできる国家ではないことが証明されたようにも感じる。

 

[1] http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/unced1992.html

[2] http://smth.jp/csr/report/2013/full/15.pdf

[3] http://homepage3.nifty.com/boxinglee/csr/word-triplebottmeline.htm

[4]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

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2014年6月の半ば、北海道で例年の約6倍の雨量を記録

北海道には梅雨がないと言われていた。しかし、2014年6月は例年とは打って変わって6月16日現在で、例年の6倍の雨を記録している。一方、梅雨に入っている九州福岡では、例年の1%の雨しか降っていない(6月後半になって、集中した雨を経験した)。関東地域でも、6月に入って早々3日間で梅雨の間で降る雨を記録した。異常気象と言える状況が、ますます大きな異変として顕在化してきているように思える。私たちは、すでに温暖化による異常気象の真只中にいると認識すべき状況にあると、私は考える。大雨による河川の氾濫、浸水や崖崩れ、交通網の遮断による孤立や、崖崩れによる家屋の倒壊などなどの災害からどう免れるか。こうしたことを真剣に考えなければならい状況に来ている。住み慣れた場所からの移転は容易ではない。誰もそうしたことが起きないことを願うが、どう見てもここ最近に起こっている異常気象は、このことを考えなければならない段階に来ているといえよう。からの避難など、被害を受ける恐れのある場所からの計画的な避難を考慮すべき段階に来ていると考える。強靭化国家を唱える政府は、首都直下型地震、東海、南海地震への備えを前提としたものだが、地球温暖化がもたらす異常気象による災害(猛暑、豪雨、竜巻、台風の巨大化等)についても想定した対応、対策が求められていると考える。

前号のブログを修正し、雨の降らない北海道の地盤が、多くの水を含む地盤に変わったことで、何がどう変わったのかモニタリングが必要である。穿った見方でかもしれないが、6月22日のJR北海道の貨物列車の脱線事故は、軌道幅の問題点(メンテナンス)だけではなく、長雨による地盤の緩みもその要因の一つではなかったかと、私は考える。比較的平坦で、さほど大きなカーブでもない線路区域で起こった事故、そうあって欲しくないが異常気象がトリガーになった要素も検証が必要と考えるのは、私だけであろうか。