パリ協定と世界秩序の矛盾

地球温暖化対策を真剣に進めるその背景に、とんでもない落とし穴があるとするなら、私たちはどのような行動をとるべきでしょうか。この後、「パリ協定」「ESG」「座礁資産」、さらに深く「パナマ文書」について触れようと考えていますが、結局、国ならびに経済活動のあり方を掘り下げることになります。それには、タックスヘイブンと言う闇(例えば、テーブルの上で1ドルの支援を申し出るが、アンダーテーブルでは10ドルを引き抜くやり方)に触れないわけにはいかないということです。経済と環境保全対策は切っても切れない関係にあります。どうも「パマ文書」は、“大規模”による負の経済活動を進めている実態が、この地球上にあることを証明することになりそうです。こうした負の実態の解明と、世界の経済社会の仕組みを徹底的に作り直さなければ、私たちは、地球を守ることは極めて難しいと考えます。

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-動き出したパナマ文書の解明-

資本主義経済システムの改善を急がないと地球環境は崩壊する

  1. 典型的な環境破壊は石油や鉱物資源の採掘にあり

いまさら言うことではないかも知れませんが、私達が受け入れている資本主義経済システムは、言い換えれば自然収奪型システムであり、地球環境を守るどころか破壊を促進するシステムだと、私は考えます。1989(平成1)年に東西冷戦の終結とともにベルリンの壁が壊され、東側に属していた国々が、西側の目覚ましい経済発展の実態を見て、我も我も豊かになろうと、資本主義経済システムに乗って自然資源の収奪に励み、かれこれ27年になります。冷戦終結前に資本主義経済を進めていた人口は12億人だったのが、今やブリックス(BRICS)が加わり40億人に、さらに他の発展途上国も加わることで、ざっと4倍の50億人に達しています。したがって、地球の自然資源の収奪が加速される状況に至っています。

自然資源の収奪の代表的事例としては、エネルギー源である石油や天然ガスの採掘、あるいは各種鉱物資源など有用な地下資源の採掘が挙げられます。中でもエネルギー源としての石油や天然ガスの採掘量は、桁違いに増加しています。この他、金、銀、銅などの金属資源に加え、レアメタルなど希少金属の採掘量も急拡大しています。金属の中でも最も価値のある金の採掘は、例えばグラム当たりの尾鉱(テーリング、廃石、ズリ)[1]が1トン以上にも達するようです。極めて深刻な環境破壊を起こしている一事例です。レアアースメタルを始め有用な金属資源の採鉱は、掘り起こした場所の修復を施すことはなく、掘りっぱなしの状況にあり、雨が降れば土石流となって山を削り、森林をなぎ倒し、家屋を押し流し、河川を汚染し、水生生物や農作物などにダメージを与えると言った、環境に多大な被害もたらしているのが現状です。

日本における採鉱による環境破壊の代表事例として、足尾銅山による鉱毒事件(1878年)[2]が挙げられます。これは、明治から昭和にかけて続いた深刻な公害問題でした。

今日では、先進国における採鉱はすでに資源量は少なくなり、もっぱら途上国の資源に依存しているのが実態です。先進国で生産活動を続けている鉱山は、厳しい環境規制の監視のもとで進められています。ところが発展途上国では、環境規制の整備が遅れ、殆ど野放しの状況で採掘が行われていることから、前述した通り深刻な環境破壊が進んでいるというのが実情です。途上国に先進国並みの環境規制を求めると、先に豊かになった国の差別的な要求であると考えられ、受け入れることはできないという姿勢が示されるようです。先進国との経済発展の格差が、こうした事態をもたらしていると言えます。これでは、地球環境を保全するどころではありません。つまり、資本経済活動が比較優位・劣位の上で成り立っているという前提に立てば、先進国にとって発展途上国は、比較劣位の生産国として都合の良い存在と言えます。 

  1. 租税回避は環境保全投資に後ろ向きの姿

企業活動が国際化したことにより、コーポレートインバージョン(外国に親会社を作ること)により、事業活動の取引決済のあり方がより優位な国(オフショア≒タックスヘイブン≒租税回避地)を利用することで、利益の最大化を図りやすくなっています。つまり、それぞれの企業における納税のあり方も、コーポレートインバージョンを利用した決済手法を取ることで、当該企業が母国へ本来納めるべき税金を低く抑えることが可能です。母国に納める税金が少ないが故に、企業総体としてはより多くの利益蓄積が可能となる仕組みを利用しているのが、多国籍企業の現状と解釈できます。ちなみに、米国における実効税率は40.75%ですが、グーグルやスターバックスといった企業は、米国で支払っている支払い 税率は20%を大きく切っているのが実情です。これは日本とて同じで、図-1に上場100企業を対象にした2014年3月期の支払い税率実績を示したものです。当時の法定正味税率は34.62%で、米国に次いで税金が高い国と言われていました。この図から、実際に支払った税率が20%未満の企業数が40社(40%)、この内、支払っていない企業が4社、1%未満の企業が10社も存在しています。法定正味税率を満額払った企業は果たして何社あったかは定かではありませんが、30%台の税金を支払った企業が20社あったことになります[3]。いずれにしても、国は企業から法定税率を満額徴収することが難しいことを示しています。ちなみに、2016年の日本の法定正味税率は29.97%と、30%を割っています。

何故このようなことが起こっているのか、コーポレートインバージョンやダブルアイリッシュ&ダッチサンドイッチ[4]といった手法で、租税回避が可能であることを利用できているのがこれまででした。これら行為がコンプライアンスとして認められるかどうか、多分にグレーであるとの見方から、現在、多くの国々でこの問題の解明に乗り出しました。パナマ文書は、企業、個人の租税回避手法や、マネーロンダリング等の実態が克明に書かれた機密文書で、このことから、企業活動のあり方が、すなわち資本主義経済システムそのものが、根本的に見直される必要性が指摘されるのではないかと見ています。 

  1. ベルリンの壁崩壊後のボーダーレス資本経済活動システムのあり方が激変

資本主義経済システムが自然収奪的なやり方であること、経済活動がボーダーレスになり、コーポレートインバージョン等の手法を使うことで、租税を回避するやり方が常習化している実態を考えると、それぞれの国家は、本来得るべき税金徴収額の捕捉が極めて不安定であることを証明しました。したがって、この事実を考えると、環境保全活動を促進すべき十分な資金(予算)の確保は、難しくなったというのが現実です。現在、世界の国々の環境保全活動への取組みを見ると、利益の使い道として、より事業拡大を追い求めるために使っているのが実際です。見た目では明らかに利益を生み出さない環境保全への取組みは、自ずと縮小されてしまうのが現実のように思います。ボーダーレス、ネット社会、国間の格差拡大は、環境保全活動をないがしろにする傾向が必然的な流れと見るのが妥当だと考えます。したがって、地球人類が本当に地球崩壊の危機を免れるには、現在の資本主義経済システムの徹底的な見直しが鍵と考えます。

[1] 谷口正次著「資源採掘から見る環境問題」p239

[2]「足尾鉱毒事件」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

[3] 「高い法人税は実情とかけ離れている」http://editor.fem.jp/blog/?p=675

[4] 渡辺哲也著「パナマ文書」p44、p69

租税回避地(タックスヘイブン)の仕組みと地球環境問題への取組みの無力化

1.日本企業における“タックスヘイブン”の利用業と格差社会の拡大

ニコラス・ジャクソン著の「タックスヘイブンの闇」は、2年前に読み終えました。私はある意味で、資本主義経済の実態を全く知らなかったことに気づかされました。資本主義経済の実態を知るには、日本国内だけで事業していても分からない。海外で生産活動やセールスをする過程で、財務をどのように処理すれば最大利益が得られるのか、稼ぐ方法としては多様であることを、この本は教えてくれました。タックスヘイブンは、パナマ文書によって、すでに多くの人の知るところとなりました。日本語では「租税回避地」と呼ばれていますが、企業にとって誠に都合の良い仕組みが、全世界に散らばって存在しているものです。資本主義経済は利益の最大化を求めているが故、国によって税制が違うくらいは誰でも知っていたでしょうが、材料の仕入れにおいてそれを最大限にコストとして受け入れてくれる国があり、利益については最小限の課税で済む国がある。世界で活躍する多国籍企業にとって、この仕組みを使わない手はないと、誰もが考えることです。優れた財務マンとは、こうした世界の多様な財務処理を利用し、利益を最大に持って行く者を言うのでしょう。

租税回避地を利用したビジネスが、直ちに違法という訳ではありませんが、本来は本国でもっと税金を納めることが可能なのに、これを他国に留めて蓄財を図る。資本主義経済が利益最大を追い求める制度であるならば、当然、租税回避地を利用することは「有り」と言えます。これはケイマン諸島だけの日本企業のケースですが、日本の上場会社のうちの45社は同地を租税回避地として利用していて、その額はざっと55兆円に達していると説明されています[1]

どの企業のCSR室でも、「弊社はコンプライアンスに沿って事業展開を図っていますよ」と、答えられると思います。法には従っていますが、タックスヘイブンを効果的に使って、本国での節税を実現し、利益を最大にしています。すでに多くの学者が、資本主義経済システムは修正が必要だと説いています。米国は、1%の人間が99%の経済を握っていると言われています[2]。全世界で富の偏在、すなわち格差社会が拡大している。タックスヘイブンに見られるように、経済の仕組みに大きな課題があるとの見方が強まってきているのは、間違いないと私は考えています。 

2.米国の巨大企業の破綻ならびに日本企業の破綻がもたらした新たな波紋

米国の巨大企業であったエンロン[3]は、もともとは天然ガスのパイプライン会社として設立され、エネルギー需要の拡大に伴い急成長を遂げ、世界最大級のエネルギー卸売会社の登りつめました。しかし、売上高12兆円の絶頂期に、子会社との癒着、関連会社との不正経理や取引が明るみとなり、2001年12月に経営破綻を迎えました。負債総額は2兆円に及び、失業者は何と2万人にも達しています。米国の大企業の不始末はこれにとどまらず、国際通信会社の大手であったワールドコムも、企業の再編に失敗し、2002年に経営破綻に至っています。負債総額は、エンロンをはるかに上回る約4兆7千億円でした。

これら、エンロンやワールドコムの経営破綻により、企業の財務内容の透明性が強く求められ、企業の“コンプライアンス”や“説明責任”あるいは“ガバナンス”が厳しく問われるようになりました。これが企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility:CSR)を明らかにする、自主的な情報公開制度に発展してきました。CSRは、もともとは企業の環境保全への取組みを重視したものでしたが、1997年にグローバル・レポーティング・イニシアティブ(Global Reporting Initiative:GRI)というNGO組織が、米国の非営利団体のセリーズ(CERES:Coalition for Environmentally Responsible. Economies)と国連環境計画との合同事業として設立され、企業の社会的責任レポートのガイドライン、すなわちGRIガイドラインの第1版を2000年6月に発行しました。現在では上場企業のすべてが、このレポート書式に従ったCSRレポートを一般公開しており、2013年現在、第5版が発行されています[4]

筆者の認識では、GRIガイドラインによる企業の社会的責任レポートが出される以前に、ISO 14001(環境マネジメントシステム)に従って活動していた企業の環境保全活動実績が、環境報告書としてまとめられ、一般公開されていたと見ています。日本の企業がISO 14001の認証取得を始めたのは、品質の国際規格(ISO 9001)の教訓から、1996年に発行されると同時に認証取得に動き出した実績があります。ISO 14001規格の認証取得件数は2009年がピークで約39,500件、2011年には26,700件と、32%も減少しています[5]。 この背景には、日本の中小企業の環境保全活動への取組みが低減してきたことが、大きな要因としてあると考えられます。ISO14001に伴う「環境報告書」が盛んに作られたのは、1997年から2002年頃までの5年間で、2003年以降は「CSRレポートが」が主流となってきています[6]

エンロンやワールドコム、あるいは日本における大手証券会社の山一証券の倒産(1997年)や鐘紡の倒産(2003年)等に伴い、CSR室は、当初は企業の環境保全活動に力を入れ、その成果を環境報告書として、主に紙媒体として広く公開していました。しかし、先のGRIへの認識の高まりに加え、環境保全活動の側面だけでは企業の責任を明らかにすることは不十分との認識の高まりが、経済的側面、さらには社会的側面、つまり企業総体の実績を簡潔にレポートする責任があるとされ、経済、環境、社会の3つの要素(トリプルボトムラインという)を含んだ「CSRレポート」、あるいは「環境社会レポート」という形に変わってきました。このレポートの性格として、環境保全への取組みに重きを置きつつも、経済的側面や社会貢献(コミュニティーへの参加等)の活動実績も取り込まれるようになってきました。

3.日本の多国籍企業のCSR室は2つの顔を持つ

筆者は、日本の企業で世界で活躍している多国籍企業のCSR室には、2つの顔があると常々思っていました。その一つは国内向けの顔で、二つ目は海外向けの顔です。

世界に進出した日本企業は、世界的なNGO、NPOによる厳しい目が注がれています。もちろん、これは日本企業だけに向けられたものではありませんが、事業の操業実態を常に厳しくチェックされており、例えば、児童労働問題や劣悪な環境での労働について、強い監視の目が注がれています。違法な行為が認められると、その情報はNGOによって瞬く間に世界に発信されます。多国籍企業は、海外における対応スタッフと、国内で環境問題や社会活動を進めているスタッフとでは、大きな緊張感の違いがあります。果たして日本のCSR室のスタッフは、「タックスヘイブン」のことを知っていたでしょうか。これはおそらく、CSR室が取り組むテーマではなく、財務や企業内の特殊なチームが取り扱っていたテーマだと考えます。

タックスヘイブンを利用したビジネスが、直ちに違法という訳ではありません。コンプライアンス上は問題なくても、タックスヘイブンが造り出す莫大な企業利益は、倫理的な側面からはどうなのか、新たな課題として持ち上がったテーマだと言えます。前述した通り、日本の上場企業でケイマン諸島におけるタックスヘイブンを使用している企業は45社に及び、その額も55兆円と高額です。また、米国の1%の人間が、99%の経済を握っているという実態を見れば、全世界における格差社会が、加速度をつけて広まっていると見ることもできます。

4.資本主義経済社会における「パリ協定」は、画餅に過ぎない危険をはらんでいる

2015年12月に「パリ協定」が採択されました。地球温暖化対策に向けて、米国と中国が合意し、これは画期的なことと世界の関係者は喜んでいます。しかし、喜ぶのはまだ早いと考えます。まず、京都議定書が採択されてから発効されるまでには、7年も掛かりました。この経験を踏まえると、「パリ協定」が実際に発効するまで、まだ道のりは遠いと考えています。加えて、何故このタイミングで”タックスヘイブン”(租税回避地≒パナマ文書)という大問題が発覚したのでしょうか。私達が合理的であると受け入れた資本主義経済システムでは、早晩、地球上の人類ならびに多くの生物が大きなストレスを抱えることになり、必然的にカタストロフィーを迎えるということの警鐘と読み取れなくはありません。自然収奪型経済システムの終焉のテーゼとして、タックスヘイブンが露見したと見られなくもありません。

イギリスのNGO組織が進めるカーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(CDP)や、グリーンピースが進める環境問題への尋常ではない抵抗活動等、これらはタックスヘイブン問題のカモフラージュとして、位置付けられた活動なのでしょうか。日本のNGO、NPO組織が、薄給をものともせず頑張っている姿を見ると、現在の企業活動≒経済活動は根本的に見直されなければ、早晩、地球崩壊は免れないのではないか、と気掛かりなのは私だけでしょうか。

[1] http://editor.fem.jp/blog/?p=675

[2] 「Newsweek」http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2013/09/99-1.php

[3] 「エンロン」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3

[4] 「GRIとの連携GRIガイドラインの理解と普及」http://www.sustainability-fj.org/gri/

[5] 「環境問題の自主的取り組み」https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f01_2013_11.pdf 74

[6] 「日本工業標準調査会 標準部会・適合性評価部会 中間とりまとめ」http://www.meti.go.jp/press/2013/04/20130430002/20130430002-3.pdf

 

谷  學 50年の公害歴史を閉じる

拝啓 5月も半ば、季節はもう夏です。関係者の皆様には、益々ご健勝の段、お慶び申し上げます。

さて、私、谷は、この3月31日を持ちまして、グリーンブルー株式会社の代表取締役を辞し、取締役会長に就任いたしましたことをお知らせ申しあげます。会長と言っても具体的にテーマがあるわけではなく、実質、第一線から身を引いたに等しい状況にあります。さらにこの夏には、取締役も辞任し、全くフリーの身分となります。在任中は、関係者の皆様には、一方ならぬご愛顧を賜り、改めて、心から感謝申し上げる次第でございます。

顧みれば、1972(昭和47)年に同僚と立ち上げた(株)日本公害防止技術センターが置かれていた状況は、丁度1970(昭和45)年の公害国会、そして71年に同国会で成立した法案に沿って、環境庁が誕生しております。私どもの会社が産声を上げ、環境測定分析ビジネスを始めた初期は、まだ、環境法律が地方自治体へ浸透せず、ましてや民間企業には公害条例の内容が行き渡っておらず、営業活動を行っても警戒されるのが実態で、仕事を頂くことが極めて難しかったことが思い出されます。結局、私が以前に在職していた(財)日本環境衛生センター時代に知り合った方々のお世話になり、曲がりなりにも業務をスタートさせることができたというのが実際です。あの当時に知り合うことができた多くの先生方のお力添えがあって、会社は船出をすることができたと思っています。

 会社は、高度経済成長の波に乗り、順調に成長し、1992(平成2)年に満20周年を迎えた折りに、コーポレート・アイデンティティー(CI)活動を通し、社名を(株)日本公害防止技術センター(NIKKOBO)からグリーンブルー(株)に変更しました。この社名変更に至るまでの経緯があります。仕事の確保は問題ないが、人、物、金という経営資源をどう使って、事業をなし、成長を続けるべきか、悩んだ時期があります。それは、会社発足から12年が経った1984(昭和59)年頃から、「経営とは何だ」と考えるようになりました。肩書に取締役を拝しながら、経営の「け」の字も知らない状況でした。それまでは、(財)日本環境衛生センターで得た測定分析の技術・知識、加えて関係者によって成り立ってきた組織で、その運営のあり方はどうあるべきかと、勉強を開始したのが昭和59年頃でした。記憶にあります「糸川秀雄博士」の経営セミナーを皮切りに、経営のビデオを片端から見続けたりしました。企業経営と言えば、当時「産能大」が有名で、同大学の「戦略ゼミ」にも通いました。CIの導入は、経営技法をパソコンソフトで指導するセミナーに出会い、ここで知り合った講師の加藤邦弘氏に、日本公害防止技術センターの経営分析をお願いし、財務、営業のあり方、個人個人の目標設定等、当時の経営資源全体のコンサルティングを通して、その結論がCI導入となった次第です。「グリーンブルー」は、良いコーポレートネイムであり、ロゴや企業理念、経営方針など立派なものができ、NIKKOBOは生まれ変わった。それが1992(平成4)年でした。

その後、私は1995(平成7)年5月に、業界団体である(社)日本環境測定分析協会の会長に就任する機会を得ました。会長の指名を受けて直ぐ、小規模の米国環境ラボ視察団に加わり、米国の先進的な環境ラボのいくつかを実際に視察しました。日本の環境測定分析ラボのITと標準化の遅れを痛切に感じ、帰国後直ちにレポートにまとめ、日本環境測定分析協会の全国7支部を回り、米国事情を報告すると同時に各種ISOシステムの導入の必要性を説いて回りました。これは、私が業界の発展に大きく貢献したものの一つであると思っています。

丁度この頃に、有害化学物質の多項目規制がスタートし、業界のフォローの風とも重なり、日本の測定分析会社は、まじめにISOの取組みを進めた姿が記憶にあります。グリーンブルーにとっては、米国視察で、デンバーにあるカンテラ社(当時)とダイオキシン分析サービスでアライアンスを組むことができ、数年に亘ってダイオキシン業務で活況な時期もありました。

私が在籍していた43年間で、グリーンブルーは1996(平成8)年6月に11億6千万円、次いで2015(平成27)年6月の11億6.5千万円がピークでした。グリーンブルーの売上高推移は、日本の名目GDPの推移と極めて良く一致しており、この状態を見て、ある経営コンサルタントが日本の経済状況は「茹でガエル」状態だと説明されていました。私は、極めて的を射た表現だと思い、わが社の事業も、いうなれば「茹でガエル」状態だということを改めて認識した次第です。

こうした折、メインの取引銀行さんの仲介で、グリーンブルー株式会社を買いたいと申し出ている会社があるとの紹介をいただき、相手の社長さんとの面談後、急転直下、買収の話が進み、2015(平成27)年12月に売買の基本契約が成立し、2016(平成28)年4月1日を持って、オーナーの変更とともに、私、谷は取締役会長(形だけの役職)となった次第です。私の引退は、まだまだ早いという方もいらっしゃいましたが、「茹でゲル」を何とかできない経営者は、すでに時代(環境)適合が難しいことを証明しているものであり、私の出番は終わったなとの思いに至った次第です。

新たなオーナーならびにグリーンブルーの経営陣は、若い者で布陣しましたので、これからの成長が期待できるのではないかと思っております。

ただ、日本の国ならびに地方公共団体が進めております環境大気モニタリングに、大きな問題点があり、これを改善させられなかったことが心残りです。「計量法」(度量衡)には、長さ、重さ、ある力、温度等々、国家標準があり、私達が使っております「指物・秤」(計量器)は「計量法」で管理されており、信頼できるトレーサビリティー体系で運用されています。大気汚染物質を図る自動測定機には、オゾン計にはマザーマシン(基準器)があり、これにトレーサブルであることが求められています(但し、オゾンのマザーマシンはありますが、現場における校正手順は、地方公共団体や業者でまちまちです)。他の硫黄酸化物計や窒素酸化物計やPM10やPM2.5等の校正は、標準とのトレーサビリティーが不十分であるのが実際です。私は、これを世界に通用する仕組みで動かすべきであると訴えてきましたが、これらについて改善する動きは見られません。これだけは“やり残した”テーマだと思っています。

いずれにしましても、4月1日からはお飾りの取締役です。加えて、8月の株主総会絵では、正式にグリーブルーとは縁が切れることになります。関係者の皆様には、本当にお世話になりました。なんとお礼を申し上げればよろしいか、私の人生で、大きな関わりを持っていただいた方々の存在があって、初めて、これまでの私があったと認識しております。改めて、心から感謝申し上げる次第でございます。

                                       敬具

2016年5月23日

                                     谷  學

企業経営管理講座を終えて

4月16、17、23、24、5月7、8、15日の7日間にわたって、午前10時から午後4時まで、みっちり「企業経営管理講座」を受講し、無事「終了証書」を受け取った。この講座を受講してみようと思った動機は、自分が関わった会社の業績動向が、見事に日本のGDP(国内総生産)の動きと一致していることに、かねてより疑問を持っていたことが原因だ。一時はIPOも考えて時期もあったが、どうしても12億の壁が超えられなかった。この状態を、企業経営講座の講師は、「茹でガエルの状態だと」説明した。12億の壁を超えると20億は、現実のものとなると考え、いろいろイノベーション戦略に挑戦した。肝心な両輪の片方であるマーケティング戦略(中小企業の成長戦略)が、思うように動かせなかった。イノベーションセンスを基に、新規のサービスアイディアを造り出すまでは行くのだが、顧客の声を聞きだす、また、顧客の価値観を揺さぶるまでには行かなかった。つまり、マーケティングが戦略にならす、社内における旗振りだけで終わってしまった。このやり方では、会社は成長軌道に乗せることができないと考え、自分の歳のことも考え手放すことにした。

自分の脳の中にある世の中のニーズは、かならず顧客のニーズでもあると信じて、せっせと情報を仕入れ、理解のために猛勉強をしてきた。しかし、残念にも社員を巻き込めない自分がいることに気づいた。一人で行える事業は、たかが知れている。80人もの社員を巻き込めれば、きっとでっかいビジネスができる。そう信じて取り組んだが、イノベーションとマーケティングの両輪が回すことができなかった。言うまでもなく、両輪が機能しなければ、企業を成長軌道に乗せることは難しい。

今回の研修は、自分が43年間事業を進めてきたことのレビューの意味で、経営のイロハの勉強をし直してみようと思い、行動を起こしたものだ。日本の産業政策について、もっと早く気づいていれば、成長軌道へ乗せることは夢ではなかった。少し気づくのが遅かったと、猛省している。エネルギー、気候変動、食糧、水の世界にビジネス機会があることは間違ない。しかし、政府の産業政策を活用し、ICT、IoTに結び付けたビジネスモデルを構築し、動かす力が足らなかった。私は、アイディアを紙の上に落とせる力は、今でもあるが、レバレッジを使って、飛躍させる手法を見逃していた。日本の大手企業が海外に出てゆく、それについて行ける中小企業は、優れた企業である。しかし、取り残された中小企業も国内で生き残るための成長の芽を育て、持続する必要がある。そうすることで、国境を超えたビジネスチャンスは、巡ってくる。少なくとも自分が関わっていた企業には、十分にその可能性はあった。

いずれにしても、私にとって、充実した7日間であった。機会をいただいた関係者に皆様には、感謝の一言である。。

『ファインバブル(水質技術革命)が養豚排せつ物処理の世界を変える

微細な気泡(ファインバブル:Fine Babble)が、私たちの食糧生産を助けるより持続可能な技術として認知されつつあります。ここでは初歩的な実験室実験における、養豚排せつ物(豚尿)の効果的な処理実績について、報告をさせていただきます。

 “ファインバブル”(微細な気泡)という言葉は、最近多くの人々が耳にするようになってきたと、筆者は認識しています。海の回遊魚である「はまち」の養殖や、内陸の温泉地域での「トラフグ」の養殖、さらに「エビ」の養殖についても、内陸の河川流域で養殖する技術も確立されています。加えて、野菜(葉物や苺など)についても、屋内で栽培する水耕栽培が盛んに行われるようになってきています。私たちが必要とするこれら食糧の栽培・育成方法が、大きく変貌を遂げようとしています。これらを可能にしたのは、栽培・育成に欠かせない水の革命、すなわち“ファインバブル”をより多く水中に送り込む技術の進歩です。つまり、必要とする「水質の技術革命」がなしえたものと、筆者は見ています。“ファインバブル”の登場により、水中の酸素濃度を従来の1.5倍も高めることに成功した。この技術革命により、「動植物の育成・栽培手法に革命」が起こったと、私は考えています。

以上のように、“ファインバブル”がしでかす現象が、徐々に解き明かされつつあります。水中に酸素濃度を高めることは何でもないようですが、従来の技術では莫大なエネルギーを使っても、常温水(15〜25℃)における飽和酸素濃度は8㎎4/ℓ〜<10㎎/ℓでしかなかったのが、ファインバブルを使うと1.5倍もの飽和酸素濃度にすることが可能となりました。しかも、使用するエネルギーは、従来の1/2〜1/3で可能です。

様々な分野で利用が高まり、認知度が急上昇しています。ただし、“ファインバブル”がしでかす事象の根拠を、技術的に説明した資料はいまだ極めて少ないのが現状です。

 ここでは、「豚尿の浄化試験」にファインバブルが、有効な技術であることについて、日本初の浄化試験資料を紹介します。この技術資料は、あくまでも実験室実験におけるデータに基づくものですが、数ミクロンサイズの“ファインバブル”が、豚尿を効果的に浄化する有望な技術である証拠のいくつかを明らかにできました。詳しくは「技術報告書」(参照:http://os-lab.info/wp/wp-content/uploads/2016/01/10142672e910352dac540973dc25b8de.pdf)をご覧ください。“ファインバブル”に期待する特徴的な技術は、次の①〜⑤に示したものです。ファインバブルは、従来の活性汚泥処理法におけるバブルアシスタントとして、十分に期待できる新技術であると、筆者は考えています。

  1. 省エネルギー:従来の曝気装置の一部をファインバブル発生装置に置き換えることで、電力消費量が削減できます(既存施設の改造を殆ど必要としません)
  2. 省資源化:汚水処理は、BODやSSの負荷を下げる意味で水による希釈が望ましいが、従来のそれよりは少量で可能です
  3. 悪臭の減臭:汚水中のファインバブル(微細気泡)が、臭い物質であるアンモニアの消化反応を促進させ、尿臭は見事に減臭します
  4. 排水基準を満足する適切な汚水処理:従来の活性汚泥処理レベルの水質浄化が実現できます
  5. 余剰活性汚泥の縮減:処理水中の飽和酸素濃度が、従来手法の1.5倍もあることから、酸素による汚物の分解促進が同時並行的に起こることから、余剰活性汚泥の発生量が抑制されます。

「環境立国・日本」を築いた人たち

私は、日本における環境汚染物質の測定分析を生業として50年、特に測定分析データの信頼性確保に向け、測定分析ラボ(試験所)の国際標準規格であるISO/IEC 17025の認定資格取得を、積極的に日本全国の環境測定分析事業者に働きかけてきました。そうした甲斐もあってか、日本のラボにおける測定分析データの信頼性向上は、現在の(一般社団法人)日本環境測定分析協会の努力の甲斐もあって、改善されてきていると考えます。

私は1995〜1999年の4年間、社団法人(当時、現在は一般社団法人)日本環境測定分析協会の会長を務めました。この間、特に米国の環境測定分析ラボラトリーにおけるデータ精度管理の実態(LIMS:ラボラトリー・インフォメーション・マネジメント・システム)について、現地調査を行った後、会長在任中に多くの事業経営者に向けて米国の実情を紹介し、優れた仕組みシステムを積極的に取り入れるよう、働きかけてきた。したがって、ISO/IEC 17025機関として登録している事業者も増えてきているのが実態です。

一方、官(国や地方自治体)が行っている「大気汚染常時監視」や河川の「水質汚濁常時監視」は、自動計測機器の精度管理手法が未確立であることから、測定データにいて、信頼性に難点があると考えています。

皆さん「トレーサビリティー」という言葉を聞いたことがあると思います。一時、輸入牛肉について、狂牛病事件などがクローズアップされ、牛肉の履歴が問われるようになりました。親牛(マザー)の病歴などから、輸入肉に影響がないか、その履歴を詳細にチェックすることになりました。牛肉の出所、生い立ちから食肉の安全性を確保しようとするものです。これが食肉分野の「トレーサビリティー」を明らかにすると言うものです。

このトレーサビリティーの考え方は、私どもが生業としている大気汚染や水質汚濁を測定する自動測定機器についても、あてはまる問題です。私どもの分野では、母牛に当たる部分を、自動測定機器の国家標準器のことをいい、これがマザーマシンと呼ばれるものです。信頼できる測定データを得るには、マザーマシンと繋がりを持っていることの証明が不可欠です。なぜならば、自動測定機器が国家標準機器(マザーマシン)を基準に校正されていることで、データの信頼性が担保されるからです。私たちは、マザーマシンによって校正された測定機器からのデータは、マザーマシンにトレーサブルであると説明しています。

ところが、日本の大気汚染常時監視や水質汚濁監視使用される自動測定機器は、マザーと繋がりを持ったものが、必ずしも使われている訳ではありません。つまり、汚染、汚濁を計測する項目によっては、国家標準機器がないものもあります。日本の地方公共団体が使用している自動測定機器から得らる測定データは、多くがトレーサビリティー体系が確保されていないと考えます。

そうした中、日本の環境大気汚染状況は、一時期の公害の酷かりし頃に比べると、大幅に改善されています。ところが、かつて1970年7月の立正中学・高校の校庭で起こった問題が、最近になって光化学オキシダント濃度の上昇から、再び注目されてきています。特に、夏場において、光化学オキシダント濃度が上昇し、注意報発令が頻発するようになってきました。

これは「再び増加する光化学オキシダントと越境大気汚染」(https://www.jamstec.go.jp/frcgc/sympo/2008border/abstract.)に詳しく紹介されているので、参照してください。こうした現象を解き明かそうと、国立環境研究所が、実際に使用されている光化学オキシダント自動測定機器の校正実態を調査したところ、校正する基準器が地方によって異なっていることが、明らかにされました。

これを受けて、日本政府(環境省)は、国際標準機器を入手し、これを国家標準機器(マザーマシン)[1]とするトレーサビリティー体系を構築しました。このマザーマシンによる“子マシーン”(第2次国家標準機器という)を用意し、この二次標準機器と整合のとれた“孫マシーン”(第3次国家標準)を用意し、フィールドのオキシダント自動測定機器の校正が始まりました。ところが、この制度が導入されて、すでに6年が経過しようとしていますが、このトレーサビリティー体系が形骸化し、オキシダント自動測定機器からの測定データの信頼性が、問われるようになってきています。

大気汚染、水質汚濁常時監視には、大気汚染では亜硫酸ガス(SO2)や窒素酸化物(NOx)があり、水質では生物化学的酸素要求量(BOD)や化学的酸素要求量(COD:UV(紫外線吸収)計が使用されている)、また溶存酸素(DO)濃度等の監視が行われています。しかし、トレーサビリティー体系が未整備であることから、地域ごとの測定値の比較は、厳密には難しいのが実態です。マザーマシンによるフィールド自動測定機器の校正体制ならびにその持続的な運用体制の構築が、喫緊の課題であると考えています

ところで、「長さ」や「重さ」の基準がバラバラだとします。店で買う反物の長さが、店によって異なる。また、肉の量り売りが店によって異なるとしたらどうでしょうか。ある店で、1mとして買った反物が、自分が持っている物指で測ると95㎝しかなかった。また、お店で1㎏として買った肉の重さが、家庭の秤では900gしかなかったとします。これでは社会秩序は混乱しますね。勿論、指物や量りについては、計量法に基づく基準器によってトレーサビリティーが担保されています。だから、私たちは安心して生活が送れている訳です。昔は、これを「度量衡」と呼んでいました。

どうでしょうか、私たちの税金を使って、環境大気汚染物質や、河川、沿岸海域の水質監視が自動測定機器を使って行われています。これら計測機器の多くは、計量法に基づくトレーサビリティー体系が未整備であることから、データの精度報償に課題を抱えています。これは、いま注目されている「PM2.5」についても、同様の問題を抱えていることになります。

私は1965年に、初めて大気中の浮遊粉じん中の重金属分析を手掛けて、今年で満50年になりました。このような背景もあって、今般の「環境新聞社」が企画した『「環境立国・日本を築いた人たち』[2]の一人として選ばれ、自伝が掲載され広く皆様のお目に止める機会ができましたことは、誠に光栄であります。しかし、一方で、日本の大気汚染、水質汚濁の精度管理体制が未確立である現状を、鑑みると素直に喜べないのも実態です。

計量法で定められたている基準は、長さや、重さだけではありません、温度や気圧を計る計器についても基準があります。例えば、日本貨幣価値が、地域によって異なるとしたらどうでしょうか、社会的な混乱が生じるのは、火を見るよりも明らかです。貨幣、長さ、重さ、圧力、温度等、生活基盤をなす基準がないとなると、やはり大きな問題です。

私は、環境汚染物質の計測についても、計量法(度量衡)に基づき、マザーの存在が不可欠と考える人間です。故に、環境汚染物質測定の精度管理が大切であると訴え続けています。

経済的に豊かになった日本、加えて、劇的に環境(公害)改善を果たすことができた日本、世界に通用する「環境立国」になるためには、官が行っている大気汚染や水質汚濁の常時監を、トレーサビリティーが担保できる体制の確立を急ぐことを、求めている一人です。

[1]http://www.pref.chiba.lg.jp/wit/taiki/nenpou/documents/ar2011taiki004.pdf

[2] http://os-lab.info/wp/wp-content/uploads/2015/11/66af8f1dd26c7151889e9d3a4b53e510.pdf

 

シンガポールが抱える越境大気汚染問題

1.はじめに

シンガポールは、本来はマレー半島南部ならびにシンガポールおよびインドネシア(スマトラ島)で構成されていた港市国家、ジョホール王国(Johor Sultanate)の一部であった(1511〜1819年)。1819年に英国人トーマス・ラッフルが王国の許可を得て東インド会社の交易所をシンガポールに設立、1824年には、英国はシンガポールの主権を取得し海峡植民地とした。第二次大戦後、シンガポールは英国から独立し、1963年にマレーシアの一州として参加したが、1965年にマレーシア政府とリ・クワンユーの政策との確執(政策の不一致)により、マレーシアから追放された後、シンガポール共和国を建国した。

 シンガポールの面積は716km²で、これは日本の淡路島の約1.2倍に相当する。この狭い国土に、2015(平27)年7月現在の人口が547万人に達している。民族の構成は、中華系が74%、マレー系が13%、インド系が9%、その他が3%となっており、圧倒的に中華系の民族で占められている華人国家と言えよう。2014年度のシンガポールの一人当たりの名目GDP(GDP/Capita)は、日本の36,311ドルの約1.5倍の56,284ドルであり、アジアで最も豊かな国である。そうしたシンガポールであるが、かつては日本政府から開発援(ODA)を受けていた時代があり、1972(昭和47)年までに有償資金協力で127.4億円を、1987年までに無償資金協力で31.2億円を、1998年までに技術協力で239.9億円、合計約400億円に上る援助を受けていた。そうした国が、今や日本よりはるか先に往く、先進国に生まれ変わっている。

しかし、シンガポールは豊かな国でありながら、大気汚染という問題を抱えている。国内における環境規制は、極めて厳しいものの、周辺の発展途上によるインドネシアからの汚染物質の移流が大きな問題としてクローズアプされてきている。インドネシアでは、油椰子の栽培やパルプ材の農地開拓のために、大規模な野焼きが進められているが、この火種が森林に飛び火し、大規模な森林火災に発展し、その煙{「煙害」(ヘイズ:Haze)という}がシンガポール流れ込む事態となっている。ところが、解決に向けた対応の難しさの背景に、インドネシアの大手パルプ会社(アジア・パルプ・アンド・ペーパー・グループ:APP)を始め、5社が関与していることが明らかであるものの、これら多国籍企業は、オフショアのメリット(タックスヘブン)を享受する目的から、本社をシンガポールに置いている。加えて、シンガポール企業も、こうしたインドネシア企業から原料を仕入れ、製品化している会社もあり、シンガポール政府が厳しく当該企業を取り締まる状況にないのが実態のようだ。そこで、シンガポールでは、環境のNGO団体が乗り出し、シンガポールでナンバーワンのスパーマーケットであるフェアプライスや家具大手のイケア、さらには香港系のドラッグストア「ワトソンズ」などに働きかけ、インドネシアの当該企業の原材料あるいは製品販売を自粛するよう働き替えている[1]

2.シンガポールの大気汚染の実態について

 写真-1は、2015年10月2日にMarina Bay Sands Hotelからマリーナ・ベイ(Marina Bay)に向かって、朝の8時半頃に撮影したものである。天気は晴れであるが、どんよりと霞がかかったような状況で、対岸を構造物や木々を識別することが困難な状態であった。この現象は、翌朝にも見られた。始めは、朝靄やだと思って眺めていたが、日が昇るに従い明るさは増したものの、とんよりした状態は、昼過ぎまで続いた。

 写真-2は、シンガポール川の観光ボートから、Marina Bay Sands Hotelを撮ったもので、午後の2時頃になると少し青空が望めるようになったが、写真の右側の大気は、淀んで見える{ヘイズ(Haze)と呼んでおり、スマトラ島で大規模な野焼きにより発生した煙で、これがモンスーンに乗ってシンガポールを始め、マレー半島に移流してくる、いうなれば越境汚染である}。

写真-3は、同じボートからビルが林立するサイトに向かって撮ったものであるが、大気が霞んでいることがよく分かる。シンガポール川の広がるサイトには、マーライオン(上半身がライオンで、下半身が魚の像)が口から水を吐き出している。

シンガポールでは、大気汚染指数(PSI:Pollution Standard Index)を使って、汚染の度合いを告知している(表-1参照)。ちなみに、2015年10月12日現在のシンガポール・チャンギ-市のPSIは159を表示している。

PSIは、大気汚染状況を大まかに知るには便利な数字であるが、実際は地域差があり、この差を指数で読み取ることは困難である。加えて、浮遊粒子状物質汚染は、今やPM2.5の把握が不可欠であり、この観測網の整備と同情報開示が行われていない実態を見ると、GDP/CapitaはアジアNo.1であるが、人への配慮という点で途上国と言わざるをいない。

いずれにしても、2015年10月12日現在のPSIが159は、汚染度評価においては「不健康」の領域にあることを示している。アトピー患者も少なくなく、5人に1人(20%)が罹患しているとの報告がある[2]

3.シンガポールの大気汚染は、世界的に見ると

MEMORVAによる「PM2.5濃度 世界ランキング・国別順位 – WHO大気汚染データベース2014年版」[3]には、91カ国のPM2.5濃度順位が示されている。最も汚染レベルが低い国は、アイスランド7.766µg/㎥で、日本は12位で9.641µg/㎥となっている。シンガポールにはPM2.5の観測はなされていないものと考えていたが、WHOがウオッチしている値によると、31位で17µg/㎥となっている。PSIから考えて、PM2.5の値が17µg/㎥はあまりにも低すぎるように感じる。国家の平均値であると考えても、シンガポールの面積は僅か716km2であり、インドネシアからの影響を考慮すると、国家総体のPSIは平均値見ても140は超えている。

4.アジアNo.1の経済的豊かさを誇る国のジレンマ

シンガポールは、いわゆるタックスヘブン(オフショア)の国である。世界的に活躍する多国籍企業が本社や事務所を設けている国である。税金が安く、大企業にとっては魅力的なオフショアビジネスが展開できる場所として、数々の便益を得ている。これは、同時にシンガポール政府とで同様である。シンガポールが豊かであるためには、貿易ハブ港としての役割だけでなくオフショアとしての優位性を持っていることによって成立しているとも言える。かつて先進国が経験した越境環境汚染問題は、こうした性格を持つ国家はどう対処すべきか、そうでない日本からは、適切なアドバイスができる相手国ではないように考える。隣接する多くの国々が、経済を押し上げるためになりふり構わず、企業活動を推し進める。当該企業の豊かさが、シンガポールのような国にとって、豊かになる源泉である。

環境問題は、これまでタックスヘブンの国々について、触れてきた形跡がない。米国も、イギリスも、ドイツも、いわゆる欧米先進国の殆どの国の多国籍企業は、このオフショアビジネスの恩恵を受けている。ご多聞に漏れず日本の一部の企業も含まれている。

[1] アジアVIEW:日本経済新聞 10月8日 11面

[2]シンガポールでは約5人に1人がアトピー患者!?:http://column.untickle.com/atopy-singapore/

[3] PM2.5濃度 世界ランキング・国別順位 – WHO大気汚染データベース2014年版:http://memorva.jp/ranking/world/who_ambient_outdoor_air_pollution_2014_pm2.5.php

 

 

「人間社会に思いやりの心を持った日本」?

Compassion in Japan Human being society 密集状態で飼養される家畜と電車に押し込められた人々の状態:

家畜ように詰め込まれた人々

家畜ように詰め込まれた人々

私は、2015年9月2日17時01分に東北新幹線で東京駅に着き、同日17時16分発のJR東海道線「神津行き」の列車に乗り継ぎました。上野駅方面から来た電車ですので、乗客はいましたが、さほど混雑している状況ではありませんでした。しかし、以下に続く有楽町駅、新橋駅、品川駅、川崎駅からは、怒涛のごとく乗客が車両に流れ込んできて、瞬く間に身動きのできない状態になってしまいました。東京の中心地に勤められている方々は、こうした現象を毎朝、毎夕経験していると考えると、ぞっとする思いがこみ上げてきました。密集した身動きの取れない状態の時間は、居住地や勤め先の違いで、異なるでしょうが、少なくとも往復1〜2時間程度、こうした耐えがたい息の詰まるような環境にとじこめられていることになります。私はこの時、フィリップ・リンベリー、イザベル・オークショット著(野中香方子訳)の「ファーマゲドン」のコンパッション・イン・ザワールド・ファーミング(家畜たちの世界に思いやりを:Compassion in World Farming)の内容を想起しました。同書の中で、現在全世界で700億頭の家畜が飼養され、そうち2/3の470億頭は、身動きのできない密集状態の中で、病気の感染防止や育成促進のための抗生剤やホルモン剤が多く含まれている飼料を給餌され、消毒剤を降り掛けられたり、ワクチンの接種を受けたりと、まさに薬漬けの状態で飼養されているのが実態のようです。通常、健全な飼養環境で育てられた家畜が、成牛、成豚、成鶏になるまでには、牛で約1年、豚では7、8カ月、鶏では3、4ヵ月は掛かると見られています。それが、前述した身動きのできない密集状態の環境条件下で、飼料を口から流し込まれるように育てられた牛、豚、鶏は、それぞれが健全な環境条件下で育成される成長期間に比べ、およそ1/2以下あるいはもっと短期間で、成牛、成豚、成鶏の体重に達し、この段階で肉市場に出荷されているのが実際です。こうした生産形態をとる大規模家畜農家(工場)では、生産性を上げるとは、牛、豚、鶏の成長期間の短縮を意味し、いうなれば家畜を不健康な条件で育て、早期に市場に出荷することだと思っているようです。

電車に押し込められた人々は、健康でしょうか?: どうでしょうか、朝夕の2回とはいえ、電車の中で身動きのできない密集状態に置かれる1日の延べの時間が1〜2時間、その間人々は見ず知らずの人々の身体の圧力をもろに受け、加えて体臭や香水を否が応でも嗅がされ、逃れたくともかなわない環境に留まることを強いられることになります。人間は、家畜と違ってその中でも、自我を通そうとする人がいます。例えば、本や新聞あるいはスマホを離さず見続ける人々達です。これらの人々がそうでない人々にさらなる窮屈感とストレスを感じさせています。こうした身動きものできない環境に押し込められる姿を見て、あるいは経験して、私たちは「思いやりを持った人間社会」いると言えるでしょうか。都市近郊に住む多くの方々は、朝夕の通勤ラッシュで極めて強いストレスを受けており、これが何年にも亘り続くとなると、人が本来持っている「思いやりの心」が、薄れ失われていることに恐れを感じます。

電車に押し込められた人々は、不健康な家畜飼養状態に匹敵: さて、こうした現象をもたらしている原因は、どこにあるのでしょうか。JRや私鉄が悪いのでしょうか。都市おいて、人々の集積がピークに達することを勘案し、ゆったりとした通勤、通学を可能にするには、鉄道車両や路線、またバスも同様にバスの全体量の増加と路線の拡大が必要になりますが、これは現実的でないように思います。電車やバスが溢れかえった都市を想像して見てください。人々の集積がピークに達する条件に応えられる対応をとっとならば、過剰な施設・整備となることは必至であり、現実的はありません。会社や役所など勤め先によっては時差出勤を取るなどして、こうした状況を避ける努力もしているところもあります。でも、実態は、朝夕のバス、電車の殺人的なラッシュに巻き込まれている生活の形が、常態化しているのが現実です。 家畜の密集飼養と異なるのは、密集化している電車の中で、伝染病予防のための薬が撒かれるわけではありませんが、人間が持つ「思いやりの心」などは、累積的に希薄になって行く恐れは、容易に想像がつくと思います。つまり、密集状態におかれた多くの人々は、知らず知らずに強いストレスを蓄積していることは、容易に想像できることです。したがって、人間社会が持っている「思いやりの心」も、こうした朝夕の通勤ラッシュで、密集環境に晒される人々の心には、育ちにくいと言わざるを得ません。都会の人々が、ギスギスして、人に優しく接しられない背景の一端は、こうした環境条件の中から醸成されてきたように、私は思えてなりません。

経済発展のバロメーターとして見られた時代と人への思いやり心の喪失: 戦後、通勤ラッシュの姿は、一時期は経済成長の証として、むしろ人々の心の発揚のために利用されていた時代があります。映画館の映画の合間にあったニュースで、あるいは昔のテレビニュースで紹介されていたのを思い出します。しかしこの姿は、戦後の日本人、その中でも特に都市における人々の心の面について、大きなリスク(人を押しのけてまでも、自分の居場所を取ろとする行為や、譲り合う精神など欠落)を醸成させてしまったようにも考えられます。2008年6月に起こった「秋葉原通り魔事件」を始め、都市部で人通りの多い場所における無差別な、人への殺傷事件の頻発は、都市に生きる人々の心のストレス、「人を思いやる心」が失せている一つの証しではないでしょうか。 知らず知らずに、私たちは身動きのできない密集状態(環境)に追いやられることで、「人を思いやる心」(Compassion)をなくし、他の人々を傷つけることに無頓着になってきているように感じるのは、私だけでしょうか。団塊世代(65歳〜70歳未満)の子供の頃は、比較的多くの人々が貧しかった。でも、近所の人々との交流は頻繁で、互いに助け合って(私の場合は助けらえる機会が多かったように記憶しています)生きていたことを思い出します。

「人間社会に思いやりの心を持った日本」への変革を): 殺伐とした都市が持つリスクの分散は、結論として適当サイズの都市の再構築、つまり分散型の街づくりが求められていると考えます。家畜のように密集形態で生活を強いる都市造りを避けるべきであり、それが「家畜にも思いやりのある世界を」(コンパッション・イン・ザワールド・ファーミング:Compassion in the World Farming)をヒントに、「人間社会に思いやりの心を持った日本」(Compassion in Japan Human being society)の新たな都市環境整備を期待したいと考えた背景です。 優しい交通網とは、乗車する人々にストレスを与えるものではないと考えます。東京は、緻密な交通網を持った、世界でも類まれな便益を持った都市と紹介されていますが、私は、以上縷々述べてきたとおり、東京は人に優しい都市とは言えないと思っています。世界一「安全」、「安心」と言われていますが、果たしてそうでしょうか。人々にとって課題の多い街であると、見ています。その意味で、都道府県それぞれが、主体性を持った街づくりが可能な、法整備に基づく構造改革が必要だと考えます。 中央集権国家の弊害を、早く取り除き、海外から優れた人々を呼び寄せることできる国家改造を期待したものです。 東京は、「人間虐待都市」: 東京は、私の目からは「人間虐待都市」と言っても過言ではないと、写っています。老人が住みにくい、働き盛りの中年は、通勤ストレスで疲れている。若者に希望と活力を与える都市とは、言えないと思います。 写真は、私が乗った電車で、横浜駅に到着し、殺人的な混雑の中から家畜のように流し出されるようにホーム降り立ちました。すぐには改札に向かって歩けず、思わずその場で大きな深呼吸をしてしまいした。

「人間社会に思いやりの心を持つ日本」(Compassion in Japan Human being society)を再構築すべき時代が到来したと思いました。折しも、私たちの地球は、温暖化の進展によりダメージを受け始めています。また、向こう30年以内に首都直下型の地震など、大災害に見舞われる確率も極めて大であると喧伝されています。日本列島を如何に分散型の安全、安心の国家にするか、私は急務だと思っています。これからも、こうしたメッセージに加え、自らも「思いやりのある日本の実現」に向けて、行動を起こしていきたいと考えています。

地球温暖化を食糧生産(主に家畜の飼養)の観点から見た景色

地球温暖化を食糧生産(主に家畜の飼養)の観点から見た景色:地球上に飼養されている家畜の数は700億頭で、このうち2/3は工場式畜産によると紹介されています[1]。つまり、470億頭はストレスを抱える環境で飼養されています。動物もそうですが、過酷な環境で育成されたものを口にすることは、人にとっても決して受け入れるべき食べ物ではないということが、同書籍で紹介されています。「ファーマゲドン」の副題には、「安い肉の本当のコスト」は、例えば「ハンバーガーの真のコストは1万円」と書籍の帯には記されています。

人間の旺盛な食欲が、過剰の食物生産システムを造りだし、大気汚染、土壌汚染、水質汚濁、はたまた温暖化を加速する要因となっていることは意外と知られていません。家畜700億頭は、人間の人口が2015年現在72、3億人と考えると、その約10倍に匹敵します。これら家畜の飼料は、多くが大豆やトウモロコシで、これらは人間の食糧源であることは言うまでもありません。人間一人が生きていく食物量は、穀物で換算して180㎏/年と言われています[2]。ちなみに2012年の世界の穀物生産量は24億tで、これを人口71億人(2012年)で除すと、340㎏/人となります。つまり、今日では全世界の人々に十分に行き渡るほどの食糧生産を実現していることになります。ところが、実際は8億数千万人の人々が飢えているのが現状です。

一方、先進国では、現在の家畜の飼養方法に大きな疑問を投げかけています。家畜における工業式畜産とは密集形態による生産方式を言います。つまり家畜が身動きのできない狭い空間に押し込められ、飼料を口から流し込まれます。家畜の密集リスク回避をするために、多量の抗生物質が使用されます。また、ペニシリンなど予防接種が当たり前に行われ、言い換えれば薬漬けの状態で飼養されていることになります。例えば一般的に、鶏は成鶏になるまでには約4、5月(120日〜150日)掛かりますが、工場式畜産では、およそ7週間(50日)で肉として出荷に耐える目標体重に達しているのが現状です。

ここで言いたいことは、私たちは愛玩動物である犬、猫に関する思いやり(Compassion:コンパッション)については関心が高いのですが、日ごろ口にしている牛、豚、鶏等の家畜に対する「思いやり」に欠けていると指摘している団体があります。それが“コンパッション・イン・ワールド・ファーミング(Compassion in world faming:世界の家畜に思いやりを)です。ストレスを掛けられ飼養された家畜の肉などの食材と、人間の健康状態とに大きな相関があると指摘しています。密集状態の環境で抗生物質や様々な薬物が投入された家畜の肉は不健康で、この肉を食する人間も不健康になるというものです。先進国では有り余る不健康な食材を口にする人々の多くは、身体的、精神的不都合を抱えている可能性が高いと説明されています。

私が50年前に公害問題を手掛けたころに、ベストセラーになった書籍に、レイチェル・カーソン著「沈黙の春」{1962年、日本語訳は1964年に『生と死の妙薬―自然均衡の破壊者〈科学薬品〉』}がありました。今日、日本の農業における農薬の使用量は世界一と言われています。幸いにも、農薬の使用タイミングや量の規制、管理が行き届き、農作物のへの残留農薬の量は一頃よりは大幅に削減されたと言われています。しかし、厳密なセンサスが行われその実態を調査し、国民に報告される形とはなっていないのが実態です。今のところ、農薬による土壌汚染、河川や地下水の水質汚濁などの厳しい汚染が明らかとなったとされる報告ありません。

家畜の生産についても、欧米のような密集飼養状況と比較すると、それほどまで厳しい状況にはないのかも知れませんが、生産性を上げコスト競争力を考慮すると、欧米に類した密集型家畜生産システムの方向を選択する動きは見られます。日本における家畜による環境汚染問題は、悪臭、水質汚染(地下水を含む)、病害虫の発生など、地域によっては深刻な状況にあることは間違いありません。

冒頭で紹介した通り、全世界で700億頭の家畜が飼養され、その2/3が健全な飼養状況にないことの指摘は、家畜そのものの不健康さに加えて、環境汚染問題も極めて深刻であることは言うまでもありません。いわゆる「畜産公害」に加えて、排せつ物による温暖化物質の大気への放出も、見過ごせないレベルであることは容易に理解できます。炭酸ガス(CO2)はもとより、メタン(CH4)や亜酸化窒素(N2O)の排出量は、化石燃料の燃焼によるCO2を凌駕しないまでも、相当に大量である点は見過ごせないと考えます。その意味で、温室効果ガスの排出抑制の観点からの、家畜飼養のあり方を考える時代が到来したとも言えます。ちなみに、日本における家畜からの温室効果ガス排出量は1,210万t-CO2(2010年)で、総量13億 5700 万トン CO2の1%に相当すると見積もられています[3]。家畜頭数は、全部で3億2,160万頭に達しますが、このうち鶏が95.8%を占めており、豚は3%の954万頭、牛(乳牛、肉牛)は1.2%の396万頭となっています。

フィリップ・リンベリー、イザベル・オークショット著「ファーマゲドン」に記載されている内容には、人間が食糧とする家畜のみならず、野菜なども含め、密集形態による栽培・育成を可能な限り避け、動植物に対して“思いやりの心”を持った生産ならびに栽培手法を進めなければ、人間の健康に跳ね返っていくとされています。「畜産の集約化は、食べ物の栄養価を破壊しているも同然である」(p.213)、「肥満動物の肉を食べれば、肥満になります」(p.214)など。つまり工業型畜産では、家畜を太らせるように品種改良を行い、ただ檻の中でひたすら餌を食べ続ける。当然、脂肪分が多くなり、健全とは言えない肉として世に出回ることになります。

一方、700億頭もの家畜から排せつされる糞尿は、メタンや亜酸化窒素といった温暖化物質を大気中に放出します。こうして見ると、農業分野における健康な食糧生産に加え、温暖化対策をも考慮した農産物の生産も、重要であることが理解できると思います。食糧生産に思いやり(Compassion)を持った動きは、決して最近に起こった考えではなく、1960年代にはこうした活動が開始されています。環境問題は、巡り巡って私たちに跳ね返ってくるものです。こうした取り組みの必要性について、改めて強く実感した次第です。

[1] フィリップ・リンベリー、イザベル・オークショット著「ファーマゲドン」p19より

[2] http://www.chikyumura.org/environmental/earth_problem/food_crisis.html

[3]http://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/kikaku/goudou/16/pdf/doc1.pdf