パリ協定と世界秩序の矛盾

地球温暖化対策を真剣に進めるその背景に、とんでもない落とし穴があるとするなら、私たちはどのような行動をとるべきでしょうか。この後、「パリ協定」「ESG」「座礁資産」、さらに深く「パナマ文書」について触れようと考えていますが、結局、国ならびに経済活動のあり方を掘り下げることになります。それには、タックスヘイブンと言う闇(例えば、テーブルの上で1ドルの支援を申し出るが、アンダーテーブルでは10ドルを引き抜くやり方)に触れないわけにはいかないということです。経済と環境保全対策は切っても切れない関係にあります。どうも「パマ文書」は、“大規模”による負の経済活動を進めている実態が、この地球上にあることを証明することになりそうです。こうした負の実態の解明と、世界の経済社会の仕組みを徹底的に作り直さなければ、私たちは、地球を守ることは極めて難しいと考えます。

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「パリ協定」を考えるに当たっての世界秩序における矛盾

  1. 「パリ協定」を考えるに当たっての世界秩序における矛盾

2015年12月12日、第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)において、参加国196カ国が「パリ協定」を採択しました。2016年4月22日には、ニューヨークの国連本部で同協定の署名式が行われ、参加した国は175カ国に達しています。序文で紹介した通り、この時同時に「パリ協定」に批准した国は、海面上昇による水没の恐れある島嶼国など15カ国でした。その後、9月4日に中華人民共和国の浙江省の省都杭州市で行われた首脳会合G20の前に、米国と中国が「パリ協定」への批准声明を発表しました。世界の2大GHG排出国が批准したことから、「パリ協定」の発効も2016年内に成立する可能性が極めて高くなったと言えます。以下詳しくは、アドレスをクリックしてください。

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私たちの世界が抱える課題を考えるためのキーワードについて

サブタイトル:まもなくの「パリ協定」の発効を迎えて

現在の世界の問題を考えるに当たって、心得ておくべきキーワードについて、筆者の思いつくままにいくつか挙げてみたい。

その一つ目が、「ヴェストファーレン条約」に関連する世界秩序の問題である。中国や北朝鮮あるいは、現在の中東で起こっているイスラム過激派等による紛争などを考えると、1684年に「カトリックとプロテスタントによる30年に亘る宗教戦争に終止符が打たれ、条約締結国は相互の領土を尊重し内政への干渉を控えることが約束された」この条約に沿って、多くの国々は国家運営を進めているようだ。つまり秩序を重んじることが優先されなければ紛争はなくならない。ここで中国の例を挙げると、一党独裁で、国内では徹底した情報統制が敷かれており、加えてウイグルやチベット地区では民族紛争が、そしてネパール国境などにおいては国境紛争が絶えない。また国際法上領有権の権利は無いことが、国際裁判で判決が下った南シナ海における中国の動き、さらに東シナ海においても日本に対する覇権的な動きは、世界秩序を乱す姿そのものであ。

以下のキーワードについては、次のアドレスを参照されたい。

: http://os-lab.info/私たちの世界が抱える課題を考えるためのキーワ/まもなくの「パリ協定」の発効を迎えて160905:

 

 

 

 

 

 

-動き出したパナマ文書の解明-

資本主義経済システムの改善を急がないと地球環境は崩壊する

  1. 典型的な環境破壊は石油や鉱物資源の採掘にあり

いまさら言うことではないかも知れませんが、私達が受け入れている資本主義経済システムは、言い換えれば自然収奪型システムであり、地球環境を守るどころか破壊を促進するシステムだと、私は考えます。1989(平成1)年に東西冷戦の終結とともにベルリンの壁が壊され、東側に属していた国々が、西側の目覚ましい経済発展の実態を見て、我も我も豊かになろうと、資本主義経済システムに乗って自然資源の収奪に励み、かれこれ27年になります。冷戦終結前に資本主義経済を進めていた人口は12億人だったのが、今やブリックス(BRICS)が加わり40億人に、さらに他の発展途上国も加わることで、ざっと4倍の50億人に達しています。したがって、地球の自然資源の収奪が加速される状況に至っています。

自然資源の収奪の代表的事例としては、エネルギー源である石油や天然ガスの採掘、あるいは各種鉱物資源など有用な地下資源の採掘が挙げられます。中でもエネルギー源としての石油や天然ガスの採掘量は、桁違いに増加しています。この他、金、銀、銅などの金属資源に加え、レアメタルなど希少金属の採掘量も急拡大しています。金属の中でも最も価値のある金の採掘は、例えばグラム当たりの尾鉱(テーリング、廃石、ズリ)[1]が1トン以上にも達するようです。極めて深刻な環境破壊を起こしている一事例です。レアアースメタルを始め有用な金属資源の採鉱は、掘り起こした場所の修復を施すことはなく、掘りっぱなしの状況にあり、雨が降れば土石流となって山を削り、森林をなぎ倒し、家屋を押し流し、河川を汚染し、水生生物や農作物などにダメージを与えると言った、環境に多大な被害もたらしているのが現状です。

日本における採鉱による環境破壊の代表事例として、足尾銅山による鉱毒事件(1878年)[2]が挙げられます。これは、明治から昭和にかけて続いた深刻な公害問題でした。

今日では、先進国における採鉱はすでに資源量は少なくなり、もっぱら途上国の資源に依存しているのが実態です。先進国で生産活動を続けている鉱山は、厳しい環境規制の監視のもとで進められています。ところが発展途上国では、環境規制の整備が遅れ、殆ど野放しの状況で採掘が行われていることから、前述した通り深刻な環境破壊が進んでいるというのが実情です。途上国に先進国並みの環境規制を求めると、先に豊かになった国の差別的な要求であると考えられ、受け入れることはできないという姿勢が示されるようです。先進国との経済発展の格差が、こうした事態をもたらしていると言えます。これでは、地球環境を保全するどころではありません。つまり、資本経済活動が比較優位・劣位の上で成り立っているという前提に立てば、先進国にとって発展途上国は、比較劣位の生産国として都合の良い存在と言えます。 

  1. 租税回避は環境保全投資に後ろ向きの姿

企業活動が国際化したことにより、コーポレートインバージョン(外国に親会社を作ること)により、事業活動の取引決済のあり方がより優位な国(オフショア≒タックスヘイブン≒租税回避地)を利用することで、利益の最大化を図りやすくなっています。つまり、それぞれの企業における納税のあり方も、コーポレートインバージョンを利用した決済手法を取ることで、当該企業が母国へ本来納めるべき税金を低く抑えることが可能です。母国に納める税金が少ないが故に、企業総体としてはより多くの利益蓄積が可能となる仕組みを利用しているのが、多国籍企業の現状と解釈できます。ちなみに、米国における実効税率は40.75%ですが、グーグルやスターバックスといった企業は、米国で支払っている支払い 税率は20%を大きく切っているのが実情です。これは日本とて同じで、図-1に上場100企業を対象にした2014年3月期の支払い税率実績を示したものです。当時の法定正味税率は34.62%で、米国に次いで税金が高い国と言われていました。この図から、実際に支払った税率が20%未満の企業数が40社(40%)、この内、支払っていない企業が4社、1%未満の企業が10社も存在しています。法定正味税率を満額払った企業は果たして何社あったかは定かではありませんが、30%台の税金を支払った企業が20社あったことになります[3]。いずれにしても、国は企業から法定税率を満額徴収することが難しいことを示しています。ちなみに、2016年の日本の法定正味税率は29.97%と、30%を割っています。

何故このようなことが起こっているのか、コーポレートインバージョンやダブルアイリッシュ&ダッチサンドイッチ[4]といった手法で、租税回避が可能であることを利用できているのがこれまででした。これら行為がコンプライアンスとして認められるかどうか、多分にグレーであるとの見方から、現在、多くの国々でこの問題の解明に乗り出しました。パナマ文書は、企業、個人の租税回避手法や、マネーロンダリング等の実態が克明に書かれた機密文書で、このことから、企業活動のあり方が、すなわち資本主義経済システムそのものが、根本的に見直される必要性が指摘されるのではないかと見ています。 

  1. ベルリンの壁崩壊後のボーダーレス資本経済活動システムのあり方が激変

資本主義経済システムが自然収奪的なやり方であること、経済活動がボーダーレスになり、コーポレートインバージョン等の手法を使うことで、租税を回避するやり方が常習化している実態を考えると、それぞれの国家は、本来得るべき税金徴収額の捕捉が極めて不安定であることを証明しました。したがって、この事実を考えると、環境保全活動を促進すべき十分な資金(予算)の確保は、難しくなったというのが現実です。現在、世界の国々の環境保全活動への取組みを見ると、利益の使い道として、より事業拡大を追い求めるために使っているのが実際です。見た目では明らかに利益を生み出さない環境保全への取組みは、自ずと縮小されてしまうのが現実のように思います。ボーダーレス、ネット社会、国間の格差拡大は、環境保全活動をないがしろにする傾向が必然的な流れと見るのが妥当だと考えます。したがって、地球人類が本当に地球崩壊の危機を免れるには、現在の資本主義経済システムの徹底的な見直しが鍵と考えます。

[1] 谷口正次著「資源採掘から見る環境問題」p239

[2]「足尾鉱毒事件」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

[3] 「高い法人税は実情とかけ離れている」http://editor.fem.jp/blog/?p=675

[4] 渡辺哲也著「パナマ文書」p44、p69

租税回避地(タックスヘイブン)の仕組みと地球環境問題への取組みの無力化

1.日本企業における“タックスヘイブン”の利用業と格差社会の拡大

ニコラス・ジャクソン著の「タックスヘイブンの闇」は、2年前に読み終えました。私はある意味で、資本主義経済の実態を全く知らなかったことに気づかされました。資本主義経済の実態を知るには、日本国内だけで事業していても分からない。海外で生産活動やセールスをする過程で、財務をどのように処理すれば最大利益が得られるのか、稼ぐ方法としては多様であることを、この本は教えてくれました。タックスヘイブンは、パナマ文書によって、すでに多くの人の知るところとなりました。日本語では「租税回避地」と呼ばれていますが、企業にとって誠に都合の良い仕組みが、全世界に散らばって存在しているものです。資本主義経済は利益の最大化を求めているが故、国によって税制が違うくらいは誰でも知っていたでしょうが、材料の仕入れにおいてそれを最大限にコストとして受け入れてくれる国があり、利益については最小限の課税で済む国がある。世界で活躍する多国籍企業にとって、この仕組みを使わない手はないと、誰もが考えることです。優れた財務マンとは、こうした世界の多様な財務処理を利用し、利益を最大に持って行く者を言うのでしょう。

租税回避地を利用したビジネスが、直ちに違法という訳ではありませんが、本来は本国でもっと税金を納めることが可能なのに、これを他国に留めて蓄財を図る。資本主義経済が利益最大を追い求める制度であるならば、当然、租税回避地を利用することは「有り」と言えます。これはケイマン諸島だけの日本企業のケースですが、日本の上場会社のうちの45社は同地を租税回避地として利用していて、その額はざっと55兆円に達していると説明されています[1]

どの企業のCSR室でも、「弊社はコンプライアンスに沿って事業展開を図っていますよ」と、答えられると思います。法には従っていますが、タックスヘイブンを効果的に使って、本国での節税を実現し、利益を最大にしています。すでに多くの学者が、資本主義経済システムは修正が必要だと説いています。米国は、1%の人間が99%の経済を握っていると言われています[2]。全世界で富の偏在、すなわち格差社会が拡大している。タックスヘイブンに見られるように、経済の仕組みに大きな課題があるとの見方が強まってきているのは、間違いないと私は考えています。 

2.米国の巨大企業の破綻ならびに日本企業の破綻がもたらした新たな波紋

米国の巨大企業であったエンロン[3]は、もともとは天然ガスのパイプライン会社として設立され、エネルギー需要の拡大に伴い急成長を遂げ、世界最大級のエネルギー卸売会社の登りつめました。しかし、売上高12兆円の絶頂期に、子会社との癒着、関連会社との不正経理や取引が明るみとなり、2001年12月に経営破綻を迎えました。負債総額は2兆円に及び、失業者は何と2万人にも達しています。米国の大企業の不始末はこれにとどまらず、国際通信会社の大手であったワールドコムも、企業の再編に失敗し、2002年に経営破綻に至っています。負債総額は、エンロンをはるかに上回る約4兆7千億円でした。

これら、エンロンやワールドコムの経営破綻により、企業の財務内容の透明性が強く求められ、企業の“コンプライアンス”や“説明責任”あるいは“ガバナンス”が厳しく問われるようになりました。これが企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility:CSR)を明らかにする、自主的な情報公開制度に発展してきました。CSRは、もともとは企業の環境保全への取組みを重視したものでしたが、1997年にグローバル・レポーティング・イニシアティブ(Global Reporting Initiative:GRI)というNGO組織が、米国の非営利団体のセリーズ(CERES:Coalition for Environmentally Responsible. Economies)と国連環境計画との合同事業として設立され、企業の社会的責任レポートのガイドライン、すなわちGRIガイドラインの第1版を2000年6月に発行しました。現在では上場企業のすべてが、このレポート書式に従ったCSRレポートを一般公開しており、2013年現在、第5版が発行されています[4]

筆者の認識では、GRIガイドラインによる企業の社会的責任レポートが出される以前に、ISO 14001(環境マネジメントシステム)に従って活動していた企業の環境保全活動実績が、環境報告書としてまとめられ、一般公開されていたと見ています。日本の企業がISO 14001の認証取得を始めたのは、品質の国際規格(ISO 9001)の教訓から、1996年に発行されると同時に認証取得に動き出した実績があります。ISO 14001規格の認証取得件数は2009年がピークで約39,500件、2011年には26,700件と、32%も減少しています[5]。 この背景には、日本の中小企業の環境保全活動への取組みが低減してきたことが、大きな要因としてあると考えられます。ISO14001に伴う「環境報告書」が盛んに作られたのは、1997年から2002年頃までの5年間で、2003年以降は「CSRレポートが」が主流となってきています[6]

エンロンやワールドコム、あるいは日本における大手証券会社の山一証券の倒産(1997年)や鐘紡の倒産(2003年)等に伴い、CSR室は、当初は企業の環境保全活動に力を入れ、その成果を環境報告書として、主に紙媒体として広く公開していました。しかし、先のGRIへの認識の高まりに加え、環境保全活動の側面だけでは企業の責任を明らかにすることは不十分との認識の高まりが、経済的側面、さらには社会的側面、つまり企業総体の実績を簡潔にレポートする責任があるとされ、経済、環境、社会の3つの要素(トリプルボトムラインという)を含んだ「CSRレポート」、あるいは「環境社会レポート」という形に変わってきました。このレポートの性格として、環境保全への取組みに重きを置きつつも、経済的側面や社会貢献(コミュニティーへの参加等)の活動実績も取り込まれるようになってきました。

3.日本の多国籍企業のCSR室は2つの顔を持つ

筆者は、日本の企業で世界で活躍している多国籍企業のCSR室には、2つの顔があると常々思っていました。その一つは国内向けの顔で、二つ目は海外向けの顔です。

世界に進出した日本企業は、世界的なNGO、NPOによる厳しい目が注がれています。もちろん、これは日本企業だけに向けられたものではありませんが、事業の操業実態を常に厳しくチェックされており、例えば、児童労働問題や劣悪な環境での労働について、強い監視の目が注がれています。違法な行為が認められると、その情報はNGOによって瞬く間に世界に発信されます。多国籍企業は、海外における対応スタッフと、国内で環境問題や社会活動を進めているスタッフとでは、大きな緊張感の違いがあります。果たして日本のCSR室のスタッフは、「タックスヘイブン」のことを知っていたでしょうか。これはおそらく、CSR室が取り組むテーマではなく、財務や企業内の特殊なチームが取り扱っていたテーマだと考えます。

タックスヘイブンを利用したビジネスが、直ちに違法という訳ではありません。コンプライアンス上は問題なくても、タックスヘイブンが造り出す莫大な企業利益は、倫理的な側面からはどうなのか、新たな課題として持ち上がったテーマだと言えます。前述した通り、日本の上場企業でケイマン諸島におけるタックスヘイブンを使用している企業は45社に及び、その額も55兆円と高額です。また、米国の1%の人間が、99%の経済を握っているという実態を見れば、全世界における格差社会が、加速度をつけて広まっていると見ることもできます。

4.資本主義経済社会における「パリ協定」は、画餅に過ぎない危険をはらんでいる

2015年12月に「パリ協定」が採択されました。地球温暖化対策に向けて、米国と中国が合意し、これは画期的なことと世界の関係者は喜んでいます。しかし、喜ぶのはまだ早いと考えます。まず、京都議定書が採択されてから発効されるまでには、7年も掛かりました。この経験を踏まえると、「パリ協定」が実際に発効するまで、まだ道のりは遠いと考えています。加えて、何故このタイミングで”タックスヘイブン”(租税回避地≒パナマ文書)という大問題が発覚したのでしょうか。私達が合理的であると受け入れた資本主義経済システムでは、早晩、地球上の人類ならびに多くの生物が大きなストレスを抱えることになり、必然的にカタストロフィーを迎えるということの警鐘と読み取れなくはありません。自然収奪型経済システムの終焉のテーゼとして、タックスヘイブンが露見したと見られなくもありません。

イギリスのNGO組織が進めるカーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(CDP)や、グリーンピースが進める環境問題への尋常ではない抵抗活動等、これらはタックスヘイブン問題のカモフラージュとして、位置付けられた活動なのでしょうか。日本のNGO、NPO組織が、薄給をものともせず頑張っている姿を見ると、現在の企業活動≒経済活動は根本的に見直されなければ、早晩、地球崩壊は免れないのではないか、と気掛かりなのは私だけでしょうか。

[1] http://editor.fem.jp/blog/?p=675

[2] 「Newsweek」http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2013/09/99-1.php

[3] 「エンロン」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3

[4] 「GRIとの連携GRIガイドラインの理解と普及」http://www.sustainability-fj.org/gri/

[5] 「環境問題の自主的取り組み」https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/f01_2013_11.pdf 74

[6] 「日本工業標準調査会 標準部会・適合性評価部会 中間とりまとめ」http://www.meti.go.jp/press/2013/04/20130430002/20130430002-3.pdf

 

谷  學 50年の公害歴史を閉じる

拝啓 5月も半ば、季節はもう夏です。関係者の皆様には、益々ご健勝の段、お慶び申し上げます。

さて、私、谷は、この3月31日を持ちまして、グリーンブルー株式会社の代表取締役を辞し、取締役会長に就任いたしましたことをお知らせ申しあげます。会長と言っても具体的にテーマがあるわけではなく、実質、第一線から身を引いたに等しい状況にあります。さらにこの夏には、取締役も辞任し、全くフリーの身分となります。在任中は、関係者の皆様には、一方ならぬご愛顧を賜り、改めて、心から感謝申し上げる次第でございます。

顧みれば、1972(昭和47)年に同僚と立ち上げた(株)日本公害防止技術センターが置かれていた状況は、丁度1970(昭和45)年の公害国会、そして71年に同国会で成立した法案に沿って、環境庁が誕生しております。私どもの会社が産声を上げ、環境測定分析ビジネスを始めた初期は、まだ、環境法律が地方自治体へ浸透せず、ましてや民間企業には公害条例の内容が行き渡っておらず、営業活動を行っても警戒されるのが実態で、仕事を頂くことが極めて難しかったことが思い出されます。結局、私が以前に在職していた(財)日本環境衛生センター時代に知り合った方々のお世話になり、曲がりなりにも業務をスタートさせることができたというのが実際です。あの当時に知り合うことができた多くの先生方のお力添えがあって、会社は船出をすることができたと思っています。

 会社は、高度経済成長の波に乗り、順調に成長し、1992(平成2)年に満20周年を迎えた折りに、コーポレート・アイデンティティー(CI)活動を通し、社名を(株)日本公害防止技術センター(NIKKOBO)からグリーンブルー(株)に変更しました。この社名変更に至るまでの経緯があります。仕事の確保は問題ないが、人、物、金という経営資源をどう使って、事業をなし、成長を続けるべきか、悩んだ時期があります。それは、会社発足から12年が経った1984(昭和59)年頃から、「経営とは何だ」と考えるようになりました。肩書に取締役を拝しながら、経営の「け」の字も知らない状況でした。それまでは、(財)日本環境衛生センターで得た測定分析の技術・知識、加えて関係者によって成り立ってきた組織で、その運営のあり方はどうあるべきかと、勉強を開始したのが昭和59年頃でした。記憶にあります「糸川秀雄博士」の経営セミナーを皮切りに、経営のビデオを片端から見続けたりしました。企業経営と言えば、当時「産能大」が有名で、同大学の「戦略ゼミ」にも通いました。CIの導入は、経営技法をパソコンソフトで指導するセミナーに出会い、ここで知り合った講師の加藤邦弘氏に、日本公害防止技術センターの経営分析をお願いし、財務、営業のあり方、個人個人の目標設定等、当時の経営資源全体のコンサルティングを通して、その結論がCI導入となった次第です。「グリーンブルー」は、良いコーポレートネイムであり、ロゴや企業理念、経営方針など立派なものができ、NIKKOBOは生まれ変わった。それが1992(平成4)年でした。

その後、私は1995(平成7)年5月に、業界団体である(社)日本環境測定分析協会の会長に就任する機会を得ました。会長の指名を受けて直ぐ、小規模の米国環境ラボ視察団に加わり、米国の先進的な環境ラボのいくつかを実際に視察しました。日本の環境測定分析ラボのITと標準化の遅れを痛切に感じ、帰国後直ちにレポートにまとめ、日本環境測定分析協会の全国7支部を回り、米国事情を報告すると同時に各種ISOシステムの導入の必要性を説いて回りました。これは、私が業界の発展に大きく貢献したものの一つであると思っています。

丁度この頃に、有害化学物質の多項目規制がスタートし、業界のフォローの風とも重なり、日本の測定分析会社は、まじめにISOの取組みを進めた姿が記憶にあります。グリーンブルーにとっては、米国視察で、デンバーにあるカンテラ社(当時)とダイオキシン分析サービスでアライアンスを組むことができ、数年に亘ってダイオキシン業務で活況な時期もありました。

私が在籍していた43年間で、グリーンブルーは1996(平成8)年6月に11億6千万円、次いで2015(平成27)年6月の11億6.5千万円がピークでした。グリーンブルーの売上高推移は、日本の名目GDPの推移と極めて良く一致しており、この状態を見て、ある経営コンサルタントが日本の経済状況は「茹でガエル」状態だと説明されていました。私は、極めて的を射た表現だと思い、わが社の事業も、いうなれば「茹でガエル」状態だということを改めて認識した次第です。

こうした折、メインの取引銀行さんの仲介で、グリーンブルー株式会社を買いたいと申し出ている会社があるとの紹介をいただき、相手の社長さんとの面談後、急転直下、買収の話が進み、2015(平成27)年12月に売買の基本契約が成立し、2016(平成28)年4月1日を持って、オーナーの変更とともに、私、谷は取締役会長(形だけの役職)となった次第です。私の引退は、まだまだ早いという方もいらっしゃいましたが、「茹でゲル」を何とかできない経営者は、すでに時代(環境)適合が難しいことを証明しているものであり、私の出番は終わったなとの思いに至った次第です。

新たなオーナーならびにグリーンブルーの経営陣は、若い者で布陣しましたので、これからの成長が期待できるのではないかと思っております。

ただ、日本の国ならびに地方公共団体が進めております環境大気モニタリングに、大きな問題点があり、これを改善させられなかったことが心残りです。「計量法」(度量衡)には、長さ、重さ、ある力、温度等々、国家標準があり、私達が使っております「指物・秤」(計量器)は「計量法」で管理されており、信頼できるトレーサビリティー体系で運用されています。大気汚染物質を図る自動測定機には、オゾン計にはマザーマシン(基準器)があり、これにトレーサブルであることが求められています(但し、オゾンのマザーマシンはありますが、現場における校正手順は、地方公共団体や業者でまちまちです)。他の硫黄酸化物計や窒素酸化物計やPM10やPM2.5等の校正は、標準とのトレーサビリティーが不十分であるのが実際です。私は、これを世界に通用する仕組みで動かすべきであると訴えてきましたが、これらについて改善する動きは見られません。これだけは“やり残した”テーマだと思っています。

いずれにしましても、4月1日からはお飾りの取締役です。加えて、8月の株主総会絵では、正式にグリーブルーとは縁が切れることになります。関係者の皆様には、本当にお世話になりました。なんとお礼を申し上げればよろしいか、私の人生で、大きな関わりを持っていただいた方々の存在があって、初めて、これまでの私があったと認識しております。改めて、心から感謝申し上げる次第でございます。

                                       敬具

2016年5月23日

                                     谷  學

「環境立国・日本」を築いた人たち

私は、日本における環境汚染物質の測定分析を生業として50年、特に測定分析データの信頼性確保に向け、測定分析ラボ(試験所)の国際標準規格であるISO/IEC 17025の認定資格取得を、積極的に日本全国の環境測定分析事業者に働きかけてきました。そうした甲斐もあってか、日本のラボにおける測定分析データの信頼性向上は、現在の(一般社団法人)日本環境測定分析協会の努力の甲斐もあって、改善されてきていると考えます。

私は1995〜1999年の4年間、社団法人(当時、現在は一般社団法人)日本環境測定分析協会の会長を務めました。この間、特に米国の環境測定分析ラボラトリーにおけるデータ精度管理の実態(LIMS:ラボラトリー・インフォメーション・マネジメント・システム)について、現地調査を行った後、会長在任中に多くの事業経営者に向けて米国の実情を紹介し、優れた仕組みシステムを積極的に取り入れるよう、働きかけてきた。したがって、ISO/IEC 17025機関として登録している事業者も増えてきているのが実態です。

一方、官(国や地方自治体)が行っている「大気汚染常時監視」や河川の「水質汚濁常時監視」は、自動計測機器の精度管理手法が未確立であることから、測定データにいて、信頼性に難点があると考えています。

皆さん「トレーサビリティー」という言葉を聞いたことがあると思います。一時、輸入牛肉について、狂牛病事件などがクローズアップされ、牛肉の履歴が問われるようになりました。親牛(マザー)の病歴などから、輸入肉に影響がないか、その履歴を詳細にチェックすることになりました。牛肉の出所、生い立ちから食肉の安全性を確保しようとするものです。これが食肉分野の「トレーサビリティー」を明らかにすると言うものです。

このトレーサビリティーの考え方は、私どもが生業としている大気汚染や水質汚濁を測定する自動測定機器についても、あてはまる問題です。私どもの分野では、母牛に当たる部分を、自動測定機器の国家標準器のことをいい、これがマザーマシンと呼ばれるものです。信頼できる測定データを得るには、マザーマシンと繋がりを持っていることの証明が不可欠です。なぜならば、自動測定機器が国家標準機器(マザーマシン)を基準に校正されていることで、データの信頼性が担保されるからです。私たちは、マザーマシンによって校正された測定機器からのデータは、マザーマシンにトレーサブルであると説明しています。

ところが、日本の大気汚染常時監視や水質汚濁監視使用される自動測定機器は、マザーと繋がりを持ったものが、必ずしも使われている訳ではありません。つまり、汚染、汚濁を計測する項目によっては、国家標準機器がないものもあります。日本の地方公共団体が使用している自動測定機器から得らる測定データは、多くがトレーサビリティー体系が確保されていないと考えます。

そうした中、日本の環境大気汚染状況は、一時期の公害の酷かりし頃に比べると、大幅に改善されています。ところが、かつて1970年7月の立正中学・高校の校庭で起こった問題が、最近になって光化学オキシダント濃度の上昇から、再び注目されてきています。特に、夏場において、光化学オキシダント濃度が上昇し、注意報発令が頻発するようになってきました。

これは「再び増加する光化学オキシダントと越境大気汚染」(https://www.jamstec.go.jp/frcgc/sympo/2008border/abstract.)に詳しく紹介されているので、参照してください。こうした現象を解き明かそうと、国立環境研究所が、実際に使用されている光化学オキシダント自動測定機器の校正実態を調査したところ、校正する基準器が地方によって異なっていることが、明らかにされました。

これを受けて、日本政府(環境省)は、国際標準機器を入手し、これを国家標準機器(マザーマシン)[1]とするトレーサビリティー体系を構築しました。このマザーマシンによる“子マシーン”(第2次国家標準機器という)を用意し、この二次標準機器と整合のとれた“孫マシーン”(第3次国家標準)を用意し、フィールドのオキシダント自動測定機器の校正が始まりました。ところが、この制度が導入されて、すでに6年が経過しようとしていますが、このトレーサビリティー体系が形骸化し、オキシダント自動測定機器からの測定データの信頼性が、問われるようになってきています。

大気汚染、水質汚濁常時監視には、大気汚染では亜硫酸ガス(SO2)や窒素酸化物(NOx)があり、水質では生物化学的酸素要求量(BOD)や化学的酸素要求量(COD:UV(紫外線吸収)計が使用されている)、また溶存酸素(DO)濃度等の監視が行われています。しかし、トレーサビリティー体系が未整備であることから、地域ごとの測定値の比較は、厳密には難しいのが実態です。マザーマシンによるフィールド自動測定機器の校正体制ならびにその持続的な運用体制の構築が、喫緊の課題であると考えています

ところで、「長さ」や「重さ」の基準がバラバラだとします。店で買う反物の長さが、店によって異なる。また、肉の量り売りが店によって異なるとしたらどうでしょうか。ある店で、1mとして買った反物が、自分が持っている物指で測ると95㎝しかなかった。また、お店で1㎏として買った肉の重さが、家庭の秤では900gしかなかったとします。これでは社会秩序は混乱しますね。勿論、指物や量りについては、計量法に基づく基準器によってトレーサビリティーが担保されています。だから、私たちは安心して生活が送れている訳です。昔は、これを「度量衡」と呼んでいました。

どうでしょうか、私たちの税金を使って、環境大気汚染物質や、河川、沿岸海域の水質監視が自動測定機器を使って行われています。これら計測機器の多くは、計量法に基づくトレーサビリティー体系が未整備であることから、データの精度報償に課題を抱えています。これは、いま注目されている「PM2.5」についても、同様の問題を抱えていることになります。

私は1965年に、初めて大気中の浮遊粉じん中の重金属分析を手掛けて、今年で満50年になりました。このような背景もあって、今般の「環境新聞社」が企画した『「環境立国・日本を築いた人たち』[2]の一人として選ばれ、自伝が掲載され広く皆様のお目に止める機会ができましたことは、誠に光栄であります。しかし、一方で、日本の大気汚染、水質汚濁の精度管理体制が未確立である現状を、鑑みると素直に喜べないのも実態です。

計量法で定められたている基準は、長さや、重さだけではありません、温度や気圧を計る計器についても基準があります。例えば、日本貨幣価値が、地域によって異なるとしたらどうでしょうか、社会的な混乱が生じるのは、火を見るよりも明らかです。貨幣、長さ、重さ、圧力、温度等、生活基盤をなす基準がないとなると、やはり大きな問題です。

私は、環境汚染物質の計測についても、計量法(度量衡)に基づき、マザーの存在が不可欠と考える人間です。故に、環境汚染物質測定の精度管理が大切であると訴え続けています。

経済的に豊かになった日本、加えて、劇的に環境(公害)改善を果たすことができた日本、世界に通用する「環境立国」になるためには、官が行っている大気汚染や水質汚濁の常時監を、トレーサビリティーが担保できる体制の確立を急ぐことを、求めている一人です。

[1]http://www.pref.chiba.lg.jp/wit/taiki/nenpou/documents/ar2011taiki004.pdf

[2] http://os-lab.info/wp/wp-content/uploads/2015/11/66af8f1dd26c7151889e9d3a4b53e510.pdf

 

日本の「環境防衛隊」の組織化に期待

1972(昭和47)年に、「国連人間環境会議」がスウェーデンのストックホルムで開催されました。私の会社、環境コンサルタントを生業とする「グリーンブルー」は、この同じ年に産声を上げています。また、この年はローマクラブが「成長の限界」を明らかにした年でもあります。18世紀に産業革命が始まり、そして、近代兵器による戦いとなった第一次世界大戦は、1914(大正3)年から1918(大正7)年の5年間にわたって行われ、多くの人々が亡くなりました。大量破壊兵器が造られたことによるものです。その後の第二次世界大戦では、1939(昭和14)年から1945(昭和20)年の6年間にわたって戦いが続けられました。第一次世界大戦とは比較にならないほどの、大勢の人々が亡くなりました。人類の夢をかなえる希望の光として見られていた科学技術が、人々の命と環境を破壊する結果をもたらしました。戦争は、現在でもあちこちで起きており、多くの尊い命の犠牲と、築いた生活基盤の破壊をもたらしています。戦争は最大の環境破壊であることは、誰もが認めるところです。自然環境は、私たち人類にとっての恵みであり、この破壊が許されないことは誰もが理解しています。しかし残念ながら、日々どこかで戦争が行われ、破壊が進められています。科学技術は、私たちの生活を豊かにするものと期待されていましたが、むしろ大規模な環境破壊をもたらしています。

私たちの地球はどこかおかしい。皆さん、そう思いませんか。第一次、第二次の大戦で、戦争の恐ろしさを多くの人々が知りました。しかし21世紀に入っても、武器を持って互いに殺し合い、さらに環境の破壊も進んでいます。再生が困難な化石燃料を多量に使用し(戦争は環境破壊と化石燃料の加速度的消費)、加えて有害化学物質を拡散させています。地球温暖化の危機が叫ばれ、炭酸ガス(CO2)の削減について議論されていますが、すでに温暖化による被害が現実のものになっています。

1989年、ベルリンの壁の崩壊で東西冷戦時代が終わり、世界は自由主義と資本主義経済の下で、豊かになれるチャンスが与えられたと多くの国民が喜びました。しかし、それはつかの間で、その後26年が経過した今日に至っても戦争はなくならず、大国は覇権争いに終始しています。

私は、環境問題に強く関心を寄せる人々には、インテリが多いと見ています。多くの一般の人々は、環境が良くなることは望んでいても、自ら積極的な行動を起こすという状況にはないようです。日本は本当に平和そのものです。お隣り中国、韓国とは、政治的にはギクシャクしていますが、争いには至っていません。経済交流、文化交流は行われています。しかし、環境問題については、改善の兆しは少ないというのが実際です。日本は21世紀に入って、欧米に続き、越境汚染の脅威にさらされるようになってきました。しかし、越境汚染の取組みには欧米とは大きく差があり、進展が見られません。「環境問題」について、具体的にどう考えどう取組むべきか、おそらく殆どの日本人は考えていないと思います。ただし、日本では、企業の環境担当に向けた、CSR活動の必要性ならびにそのレポート作成のセミナーや若者に向けた環境教育といった活動は見られますが、国際的には認知されていないのが現状だと考えます。

私は、「環境力」とは何ですか、と問われたことがあります。環境問題解決を生業としている私は、強く環境問題に関心を寄せています。そして、この問いに、私は「環境力とは戦争阻止力」だと答えました。日本の環境NGOやNPOは、インテリ層で構成されています。環境問題認識は、学生を含め一般の人々とのギャップが極めて大きい。例えば、日本でも比較的レベルの高い大学の院生に向けたゼミで、IPCC”について聞いたところ、誰一人IPCCが「気候変動に関する政府間パネル」であることを知らない。これは、環境を生業にしている者ですら知らないものが多いいことから、当然かもしれません。

日本のNGO、NPOの国際性は、極めて遅れているように思います。世界の関係機関との接点を持ち、活動が行われていることは、聞いたり、ネット等で読んだりして、知ることはできます。しかし、彼らの国際的な影響力は、殆どないに等しいと考えています。カーボン・フット・プリント(CFP)、バーチャル・ウォーター(BW)、カーボン・ディスクロージャ・プロジェクト(CDP)、ゼロエミッション、ターゲット2℃、カーボン・リサイクル・フィードバック(CRF)、エコ・エフィシェンシー(EEF)といった環境問題用語は殆ど外来語であり、日本が造り出しその活動の結果が世界的に評価され、前進を見た事例は殆どないのが実際です。

前述した通り、「環境力」とは「紛争(戦争)を阻止する力」だと、私は解釈しました。日本では、人の命はかけがえのない大切なものであるとよく紹介されますが、世界の紛争地帯で毎日多くの人命が失われていることに対して、鈍感になっています。世界の先進国はせっせと武器を造り、紛争地帯で対立する双方に武器を売り、利益を貪っています。資本主義経済とは、自然を収奪し、資本(利益)の最大化を求める経済システムです。

このままでは地球は早晩、崩壊すると警告を発する科学者。しかし、彼ら科学者の力は、現実世界の矛盾を大きく変えることには結びついていません。つまり、政治家を、人々を、動かせないのです。資本主義経済のグローバル化の加速は、オフショアビジネス(GOB;Global Outcrossing Business)を拡大させ、多国籍企業は、こぞってタックスヘイブンによる利益の恩恵を受け、富の偏在を加速させています。

2014(平成26)年現在、世界の食糧生産量は、1年間で24億トンと報告されています。一人の人間が1年間に必要とする食糧は、穀物換算で180kgと説明されています。24億トンは、現在の地球人口72億人の食糧を賄って余りある量と、試算されています。それでも7億5千万人が飢えていると報告されています。「環境資源」、「資本」、「科学技術」、「食糧」、「人材」、「武器」、「紛争」、「水」等の偏在が、今日の地球の矛盾を造り出していることは、間違いありません。

私たちを取り巻く生活環境、そして自然環境が、私たちの財産であるとの考えに異論はないにしても、日本発の地球規模の環境改善活動が、現実的効果を造り出していないことは、日本人として悲しいことです。

日本は変わらなければなりません。多くの人々がそう思っています。10年後、20年後を見据えた、世界に通用する人材育成と、その人材の世界に向けた拡散を急ぐ必要があります。 城山三郎著の「真昼のワンマンオフィス」に、日本人が誰一人いない奥地に入り込み、ソニー製品の売り込みに汗したという物語が綴られています。これからは、環境破壊防止に汗する日本人の戦士(環境防衛隊という意味)の育成が不可欠です。「地球を救うのは、日本人の使命だ」とする人材の育成が欠かせないと考えています。

エコ文明への転換期に投入した人類(山本良一先生)

エコ文明への転換期に突入した人類 (2)

山本了一先生は、日本の環境問題を「エコ・プロダクト」という観点から、より環境負荷を軽減した物作りの視点から各界に働き掛けてきた、日本のオピニオンリーダーです。ご存知の通り「エコ・プロダクト」は、毎年12月開催される一環境大イベントに発展してまいりました。一昨年には、天皇、皇后両陛下も会場に足を運ばれるほどに、認知度の高まった大会へと育ってまいりました。山本良一先生は、このエコ・プロダクトの創始者でもございます。この偉大な先生に、これから新しい視点にチャレンジしようと試みようと企画した季刊誌、「環境コミュニケーションO号」に、トップインタビューとしてご登壇願いました。

山本良一先生は、冒頭で「日本の地球環境への認識は遅れている」と強く警鐘を鳴らしています。添付のファイル記事の中身には、様々な角度で、地球環境が深刻な状況に置かれつつあることを、ご指摘いただき、今後の私たちの生き様の方向性についても、お示しいただいております。例えば、先進的な企業では、イギリスのNGOが始めたCDP(カーボン・ディクロウジャー・プロジェクト)で、日本の企業が優秀な得点を取っていること。そして、これからの私たちの生き様として「エシカル」を引き出し、エコ・イノベーションに加え、ソーシャル・イノベーションの同時進行が求められることなど、極めて示唆に飛ぶお話をしていただきました。

紙のマガジンは、読まれるとその活字の命は極めて短い。奥の深い話も、言葉も直ちに忘却の彼方へ忘れ去られてしまいます。そうしたこれまでの紙文化のあり方をWeb.というメディア使うことで、もっと長生きさせる。一方通行であったコミュニケーションのあり方を双方向に、それを模索し、発刊しようと考えているのが、季刊誌「環境コミュニケーション」です。誌面と誌面との時空をWeb.で結び付ける。そんなコミュニケーション誌を作りたい。これが、主宰「谷學」が考える夢であります。

その意味で、山本良一先生には、しょっぱなから思いテーマを私たちに投げかけていただきました。「O号」ですが、これをこのままにしておくのは、前述した双方向を目指すマガジンとしては許されません。そこで、谷學が運営しているサイトで、添付ファイルとして山本了一先生のインタビューの全文を紹介させていただきました。http://os-lab.info/wp/wp-admin/post.php?

そこで、誠に勝手なお願いでありますが、是非、多くの関係者(ステークホルダー)の皆さんには、是非インタビュー記事をお読みいただき、ご意見をお寄せいただければ、幸いに存じます。環境問題については、極めて多くの方々が強い関心を持たれていることは分かっておりますが、これらの方々一人一人の思いが、必ずしも世の中で表現され、関係者間のとのコミュニケートが活発になっているようには感じられません。環境コミュニケーションズは、季刊誌「環境コミュニケーション」を通し、双方向の環境メディアとして輪の拡大を図りたいと考えています。「温暖化地獄」を、是非阻止しようではありませんか?皆様からのご意見、お待ちしております。

 

食品の賞味期限の表記の変更について、この日本はどこかおかしい!

この一週間、7月4日の朝日放送の報道ステーションで、ニュースキャスターの古舘氏が、食品廃棄物の多さを、月当たり500~800万トンであることを紹介した。次いで7月7日のNHKのニュース・ウオッチ9では、大越キャスターが農林水産省の統計で年に5百数十~800万トンと紹介した。ニュースキャスターは、一般家庭で一人当たり1日どれだけのゴミが出されているのか、こうした廃棄物発生量のオーダー感覚をもった形で、統計数字の紹介をしたのかはなはだ疑問に感じた。私が印象に残っているのは、真山仁著「黙示」の中の324ページに、「飽食の国、日本」につて触れ、この中に日本は年間2,189万トンの食品廃棄物を出しており、これが世界一であることが書かれていた。ニュースではこうした数字とは、およそかけ離れた数値を紹介している。ちなみに、一人当たり一日の廃棄物量が約800g~1kgとすると、1kg/日は年間365kgのゴミが発生する。これに日本の人口1億2,700万人を掛け合わすと、365kg/年✖1.27✖108人=4.63✖1010kg/年となり、これをトンで表すと4.63✖107トンとなる。家庭ゴミだけでも4,630万トンのゴミが発生している。このゴミには、燃えないもの(金属片やガラス、陶器の欠片や、萌えるものとして食べ物滓としての厨芥類やプラスチックなどが混在している。家庭ごみの湿重要で最も多いのは厨芥類で約50%[1]を占めている。家庭ごみで食品ゴミの占める割合を考慮すると、生鮮食糧品の製造や惣菜を作る企業サイドの食品の売れ残り廃棄量が500~800万トン/年(月は誤りでしょう)は、如何にも少な過ぎではありませんか。

ちなみに、養豚場から排出される年間の廃棄物量はおよそ2,000万トン/年です(日本には約980万頭の豚が飼養されている)。食品廃棄物の量は、ほぼこの量に匹敵します。「飽食の国、日本」として紹介された”日本が世界一の食べ物を捨てている国で、その量が年間実に2,189万トンにも及ぶ”という方が、どうも正しい数字のように思います。ニュースを報道する人たちは、統計数字を発表する場合、オーダー感覚を持って情報を発信される責任があると考えます。提供される統計値について、自分で検証するくらいことはやられるべきです。大切なメッセーを国民に向け行って発しているのですから。農水省によればではなく、その読み上げる数字の妥当性、少なくともオーダー感覚を持っていただき、対応を願いたいものです。

なお、私は賞味期限の表記の問題を問うより、造り過ぎの問題を指摘しても良いと考えます。日持ちしない生鮮食料品や惣菜類を、ロスなく生産・販売する新しい仕組みの検討が急がれます。ものづくりでは、余分な材料や部品などを在庫として抱えない、下請け会社が必要な時間帯に工場に届ける、しっかりタイムマネジメントを行いロスの少ない生産活動を実現しています。代用的な事例として、トヨタのカンバン方式≒”ジャストインタイム”があります。消費者のニーズする量あるいは消費量に合わせ、食品の製造あるいは惣菜の生産に取り組める仕組み、あらかじめインターネットで注文を取る、それに基づき生産に取り掛かること、ネット社会では可能になっています。テレビで双方向のコミュニケーションが可能な時代です。食材を無駄なく生産し、利用していただく仕組みづくりは、そんなに難しいことではないと考えます。

賞味期間の表記のあり方は、木を見て森を見ない付け焼刃的な手法にしか聞こえません。世界一食べ物を無駄にしている国、その汚名を払拭するには、食糧生産から流通、そして二次加工ならびに消費までのプロセスまでの革新を起こす時代が到来したと考えます。食べ物は相対的に付加価値が低い、したがって、若者はこの世界に魅力ある労働の姿があると見ていません。漁業、畜産から野菜、果物づくり実態を見ると、その大変さに多くの若者は敬遠します。そしてそれを加工する世界も同様です。人件費の安価な国や地域で大量に作られている。消費者はそれを焼くなり熱を加えるだけ。そうしたことをも省き、現在では電子レンジで「チン」で済まされます。食品を大切にしようとする動きを作り出すことも必要でしょうが、それよりも食材の絶対量を大量に確保し、これを加工する側ほうが、食品の無駄を初めから作り出していると見るのが妥当だと考えます。自由主義経済の下、儲かると見れば消費側のキャパシティーも考えずに大量生産に走る、この実態の改善が、賞味期限の表記を議論するより先決事項であると、私は考えます。

みなさんもご存知のように、スーパーマーケットやデパ地下の生鮮食品や惣菜売り場では、閉店間際になると、1時間前の製品価格の半値に下げ、売りきろうと大声を張り上げ消費を煽っています。捨てるよりは買い取っていただき、消費していただきたい。良い試みだとは思いますが、売れずに多くの生鮮食料や惣菜がウインドウに残っている姿も多々拝見します。これらはどうなるのか、当然廃棄でしょう。安く売りきろうとすることは良いことだと思いますが、それでも多くの食品が売れ残る。やはり、消費量に見合う生産システムの構築が急がれると考えます。需要と供給のバランスを考えた、生産と流通システムのあり方を、これは国家として取り組むべきだと、私は考えます。ICTの発達した今日、例えば航空券についてはネットで70%が買われているといいます。閉ざされた系を考えた場合、需給バランスのコントロールは容易です。どうでしょうか、都市における食品の売買量は既にデータとしてあると考えます。多少のアロワンス持ったものづくり。そろそろ競争の原理を見直さないと、少なくとも食の公平な分配は難しいと考えます。

年間、2,000万トンの食品廃棄物の発生は以上です(物質循環と環境汚染問題にも通じるテーマです)。

 

[1] http://www.tokyokankyo.jp/kankyoken_contents/archive/solidwaste/waste/h07-fine.pdf